お別れの時 | 内田祥文のKeep Hope Alive♪

お別れの時

ちょうど一ヶ月前だったろうか、一枚のFAXが流れてきた。

それは同業の会社が九月いっぱいで廃業するという内容のものだった。


先代の親父の頃からお世話になっている会社で、その一報を受けた時は正直ショックだった。

それはオフクロも同じで、僕よりショックを受けていた。


社長もまだ60才くらいだったろうから、ひょっとしたらうちの親父の時と同じように大病にでも

なってしまっての廃業かと疑ったくらいで、すぐに電話して確認したぐらいだった。

ところが、昨今の経済状況や業界の今後の流れを考えての決断という話だった。


「今までいろいろとお世話になりましたから、ご挨拶に伺います」と話して、最終週の今週に行って来た。

ちょうど向こうから「余った糊があるんだけどいらない?」という電話も頂いたので良かったかも知れない。


3トントラックで乗りつけた。

大量の糊とボンドを載せたら、「他のも使えるならもってっていいよ」と言われたから、

工具やら段ボールやら資料を入れられる事務用品など、いろいろと積み込んだ。


社長、工場長、業務窓口の人といろいろと話しもした。


そもそも僕がトラックで引き取りに来ることが驚きだったようで、

「社長が運転してじゃなくて、他に誰かいないの?」と言われた。


「いやぁ~、納品から荷降ろし、検品、梱包、営業と何でも屋ですよ」と笑って答えた。

実際に我々加工屋は、社長みずからが動いて人件費を削るところが多い。


本当は社長業というのは、会社を経営するという側面があるため、会社の舵取りが大事だ。

ところが零細企業はそうはいかない。

社長以下、仮に専務や常務がいるところは、その人たちがバックアップすることになる。


うちの場合は少数精鋭で、今現在は誰が欠けても困る状態だ。

そういうスタッフに支えられて成り立っている。

もちろん取引先の人たちもそうで、担当の人たちが欠けても困る。

すべてのピースが揃っていてパズルが完成している。


今回の件でそのピースがひとつ無くなってしまうのだ。

我々の業界は狭い。

ちょっとした波が立った。


同業者が無くなるということは、これからも続けていく会社にとっては仕事が回ってくるから、

ある意味ではチャンスだ。

しかし、そのチャンスを、仕事をキッチリやらなければならない。


「な~んだ、内田んとこはそんなもんか」と言われるのは悔しい。


すでに何点か、そこでやっていた仕事が来ている。

いずれも短納期の仕事で実際に厳しいが、それをやるのがうちの売りだ。


「内田さんにお願いしたい」という来社もあったり、見積もりも結構来ている。

嬉しい話だが、単価的に厳しいのがたくさんあって数字と電卓とにらめっこが続く。


合わせられるところは合わせるが、うちの単価で納得してもらえたらという交渉も続く。

そういう交渉は本当はとても大切なのでじっくりやりたいのだが、

トラックや車を運転している時に携帯が鳴るとちょっと焦る。


そんなことがしばらくは続きそうだ。

今年の流れがどうなるかだ。


「今どうなの?忙しいの?」と立ち話の時に聞かれたから、

「お陰様でバタバタしてますよ」と。

「あぁ、それならそのまま今年はいくね、いやぁ~、内田さんとこはホント良くやってるなぁと思ってるよ」


僕はその廃業する会社に関して、【追いつけ 追い越せ】という想いを秘めていた。

そこからお褒めの言葉を頂いたことは本当に嬉しかったし、励みにもなった。


うちは生き残っていかなければならない。

いや、生き残っていく。


小さい会社だが、社会から求められ、力を貸して欲しいと言われる。

そう言われるうちが華だと思う。


共に戦ってきた先輩方の姿はやはり淋しいものがあった。

片付けられていて動きのない工場や倉庫を見るのはつらい。

やれることならこの仕事を全うしたかったろう。

機械が壊れるまで使い切りたかったろう。


工場長の話からは仕事に対するプライドをもの凄く感じた。

親父がまだ若い頃、ライバル会社でありながら、機械を教えてくれと頼んだ人だ。


親父がこの話を聞いたら本当に驚いたと思う。

帰宅する前に親父の仏壇に報告した。


我々は進む。

内田産業は進む。



お別れは切ない。