新米がぼちぼち店頭に出始めています。

ごはんのおいしい季節でつい食べ過ぎの・・・。

おいしいごはんにこだわる人々を中心に

10万円を超えるIH炊飯ジャーが売れているそうです。

2万円もあれば買えると思っていた炊飯器にそんな価格帯の

商品が売れていると聞き、ちょっと驚きです。

高級機種では、各社とも内釜の素材にこだわっているほか、

冷めてもおいしいごはんが炊けたりと、

工夫も凝らしているようです。

段ボール箱を片付けようとしたら、
本人はご満悦のようなのでしばらく放っておくことにしました。


「炊飯の新常識」

軽く研ぐ

 今どきの精米技術は向上しているので、

 力を入れず、軽くシャカシャカ研げばOKです。

蒸らしも吸水も不要

 炊飯前に米をしばらく水に浸す必要もなく、
 
 炊き上がりのブザーがなったら、

 すぐにフタを開け、しゃもじでかき混ぜましょう。

 吸水も蒸らしも炊飯器の工程に含まれているそうです。

米は冷蔵庫に

 お米も生鮮食品なので、精米は冷蔵庫で保管しましょう。
 
 米は精米すると酸化が進み、味も徐々に落ちます。

 精米したものを買うのであれば、少しずつ買うのが賢明ですね。
実りの秋だというのに国産じゃないものが目につきます。

そこで疑問、食料の自給率ってどうなの?

農水省の23年度の発表によれば、

主食用の米は、ほぼ100%

(外食チェーンの中には価格の点から

輸入米を使用しているところもあります。)

小麦は、11%   大豆が、7%

パンや豆腐は、ほとんど輸入ですね。

以外だったのが、リンゴの52%です。

(てっきり、100%だと思っていました。)

かつては、輸入に頼ることのなかった

イモ類、野菜、魚介類などは輸入が徐々に増えています。

イモ類 76%  野菜 79%  魚介類 58%

肉類も50%弱が輸入に頼っています。

このままでは、食料輸入大国になってしまいますね。

秋の味覚では、サンマは自給できていますが、

マツタケは、ほとんどが輸入ですね。

栗 7% 落花生も数%です。

また、数字の上では、自給できている鶏卵は、

そのえさのほとんどを輸入に頼っています。
昨晩遅くに左わき腹に痛みを感じて

目が覚めました。

トイレまでわずかの距離なのに

途中でうずくまり、もう動けません。

しばらくそのままでいたところ痛みが引いたので

寝ることができました。

本日、病院にいったところ、症状から

「腎臓結石」の可能性とのことでした。


尿路結石の主な成分はカルシウムです が、


これにはシュウ酸カルシウムとリン酸カルシウムがあり、


この2つで尿路結石の80%以上を占めます。


尿には種々の物質が溶けて体外へ排出されるわけですが、


"コーヒーや紅茶に砂糖を入れすぎると


濃度が濃すぎて溶けきれない"と同様に、


尿中でも種々の物質が溶けきれずに析出して核ができ、


次第に結石としての形をとってきます。


この現象は腎臓の乳頭部という尿のしみ出してくる所で起こるのですが、


石が乳頭部を離れて、腎杯や腎盂で詰まってしまったり、


更に移動し尿管に落ちてくると症状がでてきます。


突然、脇腹が激しく差し込むような痛みに見舞われ、


エビのように体を曲げて病院へ向かう場合が多いようです。


血尿(目で見えない潜血のこともある)が出たり、


嘔吐を伴ったり、下腹部や大腿部に痛みが走ることもあります。


結石が小さいと尿の流れとともに


少しずつ尿管を降りてきて痛みも下腹部に移動してきます。


膀胱の近くの尿管まで降りてくると、尿をしても出にくかったり、


何となく尿が残った感じがしたりします。


一旦膀胱に落ちたらあとはほとんど自力で出てきます。


しかし、少し大きな結石になると


腎盂や尿管の途中で止まって しまうことがあります。


この場合、しばらく痛みは続くのですが、


次第に痛みがなくなり、そのまま放置してしまうと尿が流れなくなり、


腎臓が働かなくなって しまうこともあります。


尿路結石の約60%は原因不明の特発性結石症です。

原因疾患としては尿の流れを停滞させるような病気や尿路感染、

長期に寝たきりの状態などのほか、

ある種のホルモンの影響で結石ができる場合もあります。
10月1日からスタートした整体の研修も5日を過ぎました。

大きな声での挨拶が何で整体に必要なんだ!

「元気で明るい先生」と「元気のない暗い先生」

選ぶとしたら、どちら?

大きな声で骨格の歪みを改善できるわけではありませんが、

良さそうな気がしますね。

来週より腕を磨く研修に入ります。

「絵本セラピー」というのがあるそうです。

大人がグループで絵本を読んで語り合うことから

自分のものの考え方を再認識したり、

わだかまっていた思いを昇華できたりすることが

できるそうです。


たとえば

「だいじょうぶ だいじょうぶ」という絵本

幼い「ぼく」が、

おじいちゃんに「だいじょうぶ だいじょうぶ」と

励まされながら成長し、

大詰めは、病気でベッドに横たわるおじいちゃんの手を取り、

「だいじょうぶだよ」と語りかけるという筋です。


ある人は、

「一緒に住んでいた祖父が病院で亡くなるときに

見舞いに行けず後悔していたことに気付いたそうです。

また、ある人は、

「自分は小さい頃、誰かに”だいじょうぶ”と言ってほしかった。」


絵本の世界に自分の内面を投影させ、

泣いてすっきりする人もいれば、

別の参加者から「それでいいんだよ。」と

受け入れてもらうことで

癒される人もいるそうです。




「だいじょうぶ だいじょうぶ」


ぼくが いまより ずっと あかちゃんにちかく、
おじいちゃんが いまより ずっと げんきだった ころ、


ぼくと おじいちゃんは、
まいにちのように、おさんぽを たのしんでいました。

ひこうきは そらから おちる ことが あるのも しったし、

あちらにも こちらにも、 おそろしい ばいきんが

うようよしてるって ことも しりました。


だけど その たびに おじいちゃんが たすけてくれました。
おじいちゃんは、ぼくの てを にぎり、

おまじないのように つぶやくのでした。

「だいじょうぶ だいじょうぶ。」


「だいじょうぶ だいじょうぶ」
それは、むりして みんなと なかよく しなくても

いいんだって ことでした。


「だいじょうぶ だいじょうぶ」

それは、この よのなか、 そんなに

わるい ことばかりじゃ ないって ことでした。


だから こんどは ぼくの ばんです。
おじいちゃんの てを にぎり、

なんどでも なんどでも くりかえします。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

だいじょうぶだよ、おじいちゃん。