予定通り20日に入院、21日に無事手術を終え、25日に退院してきた。やや長文になるが、要約を記す。
<14日>
首の動脈の超音波検査を受ける。首筋にマイクのようなものを押し付け、超音波で動脈の様子を探る。結果は入院当日。帰り際に入院カウンターで薬剤師や栄養士との打ち合わせを行う。
<20日>
11時頃に病院に着く。まず脳神経内科へ向かい、14日の首の超音波検査の結果を聞く。何の障害もなくきれいな動脈とのこと。つまり脳や首の動脈は異常なし。これで脳神経内科の受診は終了。
次に入院カウンターで手続き。身の回りの品のレンタル、Wi-Fi利用の手続きなども行う。各500円/日くらい。Wi-Fiにはテレビと洗濯機の利用料も含まれている。その後、病棟へと案内される。
病室は最も安価な8人部屋。幸いにも窓際の落ち着いた席だった。先に入院していた患者は2人ほど。しかし部屋に着き、着替えたり荷物を整理したりするうちに続々と患者が増え、いつの間にか満室になってしまった。いい時に入院したと思う。
まず、点滴の針を刺す。動いても支障がないように肘と手首の中間辺り。テープで固定され、入院中は刺したまま過ごすことになる。
持参したノートPCを準備し、Wi-Fiのパスを入れ、接続されたのを確認する。これがなければ生きていけない(笑)。ちなみに速度を計測したところ10Mbps程度で、ocnの回線であった。ちょうど会社から連絡が来て、筆者でなければできない仕事が入ったので、リモートで操作を行う。あらかじめ会社で「Chromeリモートデスクトップ」の設定を行っておいたので、スムーズに進んだ。会社の人も、リモート操作を実際に見るのは初めてらしく感心していた。
また身の回りの品のレンタルも、恐ろしいほど充実している。寝巻、タオル類から石鹸、シャンプー、歯磨き類、テレビ用イヤホン、さらには入れ歯ケースと洗浄剤など全く使わないようなものまで入っている。
手術に先立って、心エコーの検査に来て欲しいとのことで、超音波室へ向かう。首の検査同様、マイクのようなものを胸に押し当て検査を行うが、結構な力でゴリゴリ押し付けるから痛いんだ。
18時夕食。21時消灯。何事もなく1日を過ごす。
<21日>
8時起床。本日は手術のため飲食はできない。点滴が始まる。担当の医師が回診で回ってきた。最終打ち合わせ。
術前に顔の形を記録したいので形成外科外来へ来て欲しいと呼ばれた。顔面を複数の角度から撮影する。余談ながら市販のC社製コンパクトデジカメであった。
手術室から連絡が来た。13時30分に来てくれとのこと。手術着に着替える。T字帯という褌のような下着を履く。圧迫ストッキングと呼ばれるきつめの靴下を履く。いわゆるエコノミー症候群防止用か。また髪の毛をすっぽり覆う帽子も被る。
看護師とともに手術室へ向かう。入口のドアの向こうには複数の手術室があり、思いのほか広い。恐らく10室以上あったのではないだろうか。そのうちの1室へと入る。手術台があり、周囲には各種モニタ装置が並んでいる。
手術台に横になる。天井からは大きなハチの巣型のライトがぶら下がっている。テレビとかで見る手術室そのものだ。心電図の電極が装着される。腕に血圧計を巻き、指先には酸素計を付ける。
全身麻酔についてはネットで調べてみると多数出てくるが、鎮静、鎮痛、筋弛緩という3つの要素を組み合わせたものであり、鎮静剤で眠り、鎮痛剤で痛みを感じなくなり、筋弛緩剤で体に力が入らず動かないようにするとのこと。使用する薬品に人工麻薬なんて言葉も出てくるし、時折「どこそこの病院で○人分の致死量に相当する筋弛緩剤を紛失」みたいなニュースも流れたりなど、相当危険な薬剤を使うらしく、調べれば調べるほど不安になるものだ。今は医師を信じて無事終わることを祈るしかない。
「眠くなる薬が入ります」。麻酔薬が投入されるまで準備に時間掛かるのかと思ったら意外と早かった。間もなく気を失うかのように意識が消える。
……
どのくらい時間が経ったところだろうか、「聞こえますか?」と声が掛かる。「無事終わりましたよ」。意識はあるのだが、まだ朦朧としており返事するのが精一杯な程度。看護師が「なな・なな」と言っていたのを覚えている。恐らく体温37.7℃の意味だろう。手術とはつまり健康体を強引に傷つけるわけだから多少炎症を起こすのは仕方ない。ともあれ無事に終わってほっとした。
ベッドに乗せられた状態で部屋に戻る。両足には血圧計みたいなものを巻かれており、一定の間隔で空気が送られ圧迫される。これもエコノミー症候群防止のための装備だろう。左腕に血圧計、右手に酸素計が付けられ常にモニターされている。
定期的に看護師が回って来る。ベッドの背もたれを起こして座っていたら、手術終わったばかりでしょ、寝てなきゃ駄目だと怒られた。
夜が更けるに連れて痛みが増してくる。10中6くらいの痛みか。看護師に言えば痛み止めを点滴に注入してくれる。それより何より同じ姿勢で寝ているので腰が痛い。また口の乾きも激しい。水飲んでいいかと聞いたら駄目だと。傷の痛みよりも、腰の痛みと口の渇きがずっと辛かった。しかしここは我慢するしかない。この夜は一睡もできなかった。長い長い一夜であった。
<22日>
外が明るくなり、看護師たちが盛んに歩き回る。ああ、ようやく朝が来たんだなと。担当の看護師が来る。最初の一声が「水飲んでいいですか」だった。「いいですよ」とあっさり許可が出て、ようやく水分を含むことができた。体温は37.1℃。微熱がしばらく残るのは仕方ないとのこと。
担当の先生が来た。今日から食べられるし、歩いてもいいそうだ。顔を覆っている包帯は明日取れるとのこと。大部屋なので、朝になると患者ごとに異なる科の先生の回診がやって来るので朝食時は慌ただしい。
朝食が来た。食パン2枚とサラダ類、牛乳。口の中も切っているので、口が余り開かないのでゆっくり食べる。舌で触ると前歯の上の顎に縫い目があるのが分かる。
歩きたいので看護師を呼ぶ。足に巻かれた圧迫の装置を取り外す。全く気付かなかったのだが、実は尿道にカテーテルも入っているので、これも抜かなければならない。今すぐ抜けるが、「痛いですよ」と看護婦に言われてぞっとする。「息を吸って、止めて」。ぐっとカテーテルを引っ抜く。かなり長く挿入されており、痛たた、と思わず声が出た。これでもう歩いても構わないが、圧迫ストッキングはまだ履いていてくれとのこと。
トイレに行く。帰りに洗面台の鏡を見てみた。右目を含めた顔面の半分近くをテープで固定されており怪物みたいな顔と化していた。
会社から電話が来た。手術後、余りに連絡が遅いから心配して掛けてきたとのこと。これは筆者の不手際。前述した通り、痛くて眠れなくて会社への連絡どころではなかったのだが、メールで一報くらいしておかねばいかんかった。
午後、手術後の状態をレントゲン撮りたいから来て欲しいと言われ放射線室に向かう。顔面の写真を撮るので、ベッド上に置いた撮影台に顔を伏せるような姿勢を取るのだが、この時鼻血が出た。幸いすぐに止まった。
夕方、痛みが増してきて体が暑く感じる。熱を測ったら37.5℃であった。痛み止めをもらう。今日から内服で、お馴染みのロキソニン。消灯前に抗生剤の点滴を行い、別の鎮痛剤のカロナールも飲まされる。昨夜全く寝ていないので、今夜も寝られなかったら辛いと伝えたら、睡眠薬を処方してくれた。マイスリーという薬。おかげでぐっすり眠れた。
病床
ある日の食事
<23日>
体温37.2℃。朝食はパンと卵焼き、豆乳。先生の回診が来て、包帯を外す。覆われていた右目も見えるようになるが、ややぼやけている。また神経にも触れたため、鼻の辺りが触るとやや痺れている。いずれも徐々に回復するらしい。1枚だけ絆創膏を残されたが、これは抜糸までそのままにしておくように言われた。シャワーも浴びていいと言われる。
看護師が体を拭くためのタオルと洗浄液を持ってくる。久々に下着も着替えた。多少すっきりした。そうだ、Wi-Fiに洗濯券も含まれてるので洗濯してこよう。洗面所に置かれた洗濯機に放り込んでカードをセットする。自動的に洗剤が投入され、約2時間後、ふわふわになって仕上がって来る。凄いなドラム型洗濯機。
隣のベッドに入院している爺さんが高熱を出しているようだ。看護師が39.4℃とか話してる。コロナやインフレンザだったら大変だ。明日検査しましょうねと話してる。おいおい、のんびりしてないで即検査すべきだろうに。カーテン1枚で仕切られているだけなので不安だ。
午後から別居の弟が面会に来た。「顔、凄い腫れてるね」と言われた。自分では余り気づかないが、やはり相当腫れが残っているらしい。改めて鏡を見る。右目が良く開かない感じがあったが、鏡でよく見ると見ると包帯を固定していたテープの糊が糸を引いている。看護師に自分で取っていいか聞いたところ、今はそのままにして明日の先生の回診で聞くように言われる。
寝る前に今日も抗生剤の点滴を行う。幸い、今日は痛み止めは全く使わずに済んだ。睡眠薬ももらい、消灯の午後9時に飲んだものの、同じ部屋に今日入院してきた患者のいびきがこれまた強烈で、日付の変わる辺りで起きてしまった。マイスリーは調べてみると血中最高濃度到達が0.8時間、半減期は2時間と有効時間が非常に短い。またもや眠れぬ夜を迎えるのであった……
<24日>
体温36.4℃。朝食は丸パン2個、ヨーグルト、シチュー。
医師の回診が来た。明日退院して大丈夫だと言われた。1週間と言われていただけに、少しでも早く出られるのは嬉しい。目の糊は自分で優しく取ってくれとのこと。傷跡に近いので鏡を見ながら気を使いそっと取り除く。
昼前、お腹が痛くなった。久しぶりにまとまった便が出た。腹痛が続き、3回くらいトイレに行き、出すべきものを出し切ってしまい落ち着く。
昼食はハンバーグ、久しぶりにうまいもん食ったという感覚がした。しかし8時の朝食の後、12時に昼食というのはいささか間隔が短い。運動もしないし、お腹も余り空かない状態で詰め込むことになる。ご飯240gと書かれており、結構な量だ(市販のパックご飯が200g程度である)。
高熱を出していた隣の爺さんの検査が行われたようだ。結果はコロナもインフレも陰性。良かったと喜んだのは本人よりも筆者かも知れない。
夕方、帰ってから痛くなった時のために痛み止めが出された。カロナール5回分。しかし昨日以来痛み止めは飲まずに済んでいる。今夜はもう抗生剤も打たないので、点滴の針も抜く。保護テープでべったり貼られていたので剥がすのが痛かった。
今日も睡眠薬くれと看護師に頼んだ。待ってましたマイスリー。しかしまたしても隣人の巨大ないびきで日付の変わる前に起きてしまう。部屋の外にいた担当の看護師に困ったと相談したが、大部屋なのでしょうがないんですよと言われる。後でこっそりともう1錠持ってきてくれた。よく眠れた、ありがとう。
<25日>
退院の朝が来た。体温36.4℃。朝食は丸パン2個、ソーセージのスープ、豆乳。
先生の回診が来る。来週水曜日に外来へ来て抜糸するように言われる。看護師から退院療養計画書を渡される。今後の生活について一通り書かれている。
看護師から間もなく事務から会計が出るので、着替えて準備するように言われる。着替えを済ませ、荷物をまとめる。短期間とはいえ、世話になった場所をいざ離れるとなると寂しくなるのはいつものこと。
会計が来た。請求額は何と約28万円。筆者の月給以上だ。後で保険組合から多少の払い戻しがあるとは言え、想像以上の額に驚く。
ナースステーションで看護師に挨拶し、病棟を後にする。院内のATMで現金を下ろして、支払機で会計を済ませる。今は誰にも会わなくても機械で退院処理が済んでしまう。検査などにしても、検査室での結果が即院内ネットワークに登録され病室でも分かる。ある看護師は10年くらい前のパソコンで今にも壊れそうなんですよと笑っていたが、コンピュータやネットワーク自体が存在しない時代はさぞ大変だったことは容易に想像が付く。
タクシーで15分くらい、5日ぶりに自宅へ戻ってきた。1人暮らしなので、空き巣に入られてないだろうなと気掛かりではあったが、無事であった。寒い。室温13℃と表示されている。病院は薄い寝巻1枚で暑いくらいに感じ、相当な暖房の効き具合だった。何しろ窓を細く開けていても全く寒さを感じないくらいだった。
帰ったら真っ先にシャワーを浴びた。病院でも浴びることはできたのだが、予約もなかなか取れないし結局入らずにいた。傷跡はタオルで擦ったりしないように気を付けながら、泡だけで手で優しく洗う。
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不安だった手術も無事終わり、ようやくいつもの生活が戻ってきた。手術により骨の位置が戻ったためか分からないが、めまいも幾分良くなったように思う。運動は抜糸まで避けるようにとのこと。また花粉症の持ち主なので、顔面なだけにくしゃみしたら相当痛そうだ。花粉症の薬も処方してもらった。次は29日の外来での抜糸。