早いもので、JAL 123便が御巣鷹山に墜ちたあの夏から30年が過ぎ去った。
当時、中学生だった筆者は、ちょうど母親の実家から帰ってきたところであった。疲れて果てて帰宅しほっと一息していたところ、テレビをつけた父親が「ジャンボ機落ちちゃったってよ」と大騒ぎしているのが第一報だった。その日は夜通しでテレビに釘付けになったことは言うまでもない。
世界中のエアラインで採用され、航空技術の先端を行く、最も安全な飛行機だといわれたジャンボことB747が墜ちるなんて――。
まだ中学生だったとはいえ、幼い頃から飛行機の図鑑などを眺めてそれなりに飛行機や空が好きだった筆者としては驚きを隠せなかった。後に524人の乗員乗客のうち生存者がたった4人しかいなかったことにも衝撃を受けた。本当に大変な事故が起きてしまったものだ。
(翌86年、スペースシャトル・チャレンジャーが爆発し、科学技術とは何なのかと考えさせられたものだ)
原因は表向きには大阪空港でのしりもち事故を起こしたときの圧力隔壁の修理ミスとなっているが、ネット上を調べると相模湾で演習中だった自衛隊の模擬弾が当たったのではないかとか、いろんな憶測が飛び交っている。真相の究明はこれからも続くだろうし、決して風化させてはならない出来事だ。
自分にできることは、ただ犠牲者の冥福を祈るのみ。
黙祷...