ものいふ布たち展  | Ashlyが歩けば Ⅱ

Ashlyが歩けば Ⅱ

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京都に向かう時、乗り込んだのはアレのラッピング列車でした。

等身大の若者たちにドキッ♡

 

蹴上駅を降りて向かったのは京都国際交流センターです。

 

以前よりハイジさんのブログで告知があった「ものいふ布たち展」最終日に間に合いました。

 

インドネシアの絣と日本の久留米絣、刺繍の半襟と筥迫が展示されています。

「ものいふ布」というのは良い命名だと思いました。

大変な時間と労力を費やして織られた布の柄にはそれぞれ意味があり、言葉が無くても雄弁なのです。

写真を撮っても触っても良いとの事でした。

 

こうやって女性の手で織られますから幅はだいたい決まっています。

 

大きなものは継がれていいます。

 

男性のアレがあっけらかんと。

細かな絵柄ですが、糸を撚り、くくって、染めてから作られる織物なのです。

 

他の見学者に説明しているオジサマがいて、私もググっと引かれて一緒に話を聞かせてもらいました。

鶏は天に昇るありがたい象徴、蛇は反対に地中に向かう不吉なモノ。

インドネシアの馬は優れていてアラブ種の素になったとか。

そして↓

私はこれを見た時、楽しそうな顔が並ぶ幸せなファミリーの図かと思ったら、、

これは体から切り落とされた髑髏なんだそうです。

真ん中の二人は兵士でしょうか。

首を切り落としてさらしています。

 

↓真ん中のリュウの刺繍に見えるものは小さなタカラ貝を縫い付けています。

 

これもしゃれこうべが一杯です。

イカットと言われるインドネシアの古い絣布は、今でも儀式の正装や装飾として、または婚礼の結納品にもなるそうです。

死者の遺体や棺をイカットで覆って安置し、その後、一緒に埋葬するようです。
天蓋やカーテンとして飾られていたり。

イカットの多さがステイタス・シンボルだったようです。

この札には個人名が書いてあります。

ラマダンの後の宴会をするのにお金が必要で、家宝のイカットを質に出したらしいです。

人目を気にして、他の土地で質に出したようだと、オジサマが面白く説明してくれました。

 

インドネシアは独立するまで約300年間、オランダに支配されていました。

オランダは、島間や部族間の交流を禁じていました。

だからイカットの柄もそれぞれの伝統を受け継がれて来たのでした。

その点は良かったかも。

興味深く見物していたら主催者のハイジさんがお茶とお菓子を勧めてくれました。

一緒に話を聞いたきれいなおねえさん達としばし談笑。

ハイジさんのブログ繋がりで来られたようです。

私もハイジさんのブログで美しい物を見させてもらい、ハイジさんのエネルギッシュな活動と、手厳しいご意見に刺激を受けています。

 

いま持ってる一番お気に入りの服は?

 

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