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Ashlyが歩けば Ⅱ

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静岡県掛川市にある障がい者施設ねむの木学園は、広大なねむの木村にありました。

 

女優 宮城まり子によって「障がいを持つ子どもたちに教育を。」という願いの下、1968年に開設されました。

学校施設、パン屋さん、カフェ、パートナーだった吉行淳之介氏の文学館などあります。

子ども美術館どんぐりに来ました。

 

ユニークで可愛い建物です。

入場したらグルーと庭を迂回して裏口が入口です。

色彩豊かで精緻で、楽しそうな、ときにぐっとくる子どもたちの作品。

宮城まり子さんのガラス工芸品や子供たちと絡んでいる微笑ましい写真も展示してありました。

 

トイレのピクトさんがかわいい

 

気に入った作品の絵葉書は無かったのですが、近い作品を3枚購入しました。

ハガキを入れてくれた封筒もアートだなぁ。

 

再び高速道路で伊豆方面に。

富士川SAは曇りで景色は不良でしたが、富士宮焼きそばは食べました。

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伊豆の国市にある韮山反射炉は明治日本の産業革命遺産としてユネスコに認められています。

反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉。

韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として世界で唯一現存するものです。

昭和62年に補修・耐震設備を施されて再公開されてます。

鉄の補強は当時はありませんでした。

鎖国日本、黒船に驚いて急いで国を守るために大砲を作りだしたのです。

苦労して知恵と財力を注ぎ込んで作られたカノン砲は、出来た頃には既に時代遅れになっていました。

 

なぜ韮山反射炉だけが残っているのか。

ボランティアガイドさんのお話に感動しました。

幕末、黒船が日本に押し寄せ、国内では天保の飢饉が発生していました。

多くの人が飢え死にするなか、この地の代官 江川英龍は米蔵を開放して住民に分け与えました。

そのため一人の餓死者も出なかったのです。

住民はその恩を代々忘れず、江川さまの作った反射炉を守ってきたのです。

「暴走族ですら落書きひとつしない。」と、物知りの老ガイドさんが言ってました。

当初は下田に作られるはずだった反射炉でしたが、黒船に見られてはまずいと伊豆長岡に変更されたのでした。

 

修善寺

鎌倉幕府二代目 源頼家が追放させられた後に殺されました。

去年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の舞台の1つです。

その後、処刑されたという頼家の取り巻き達の慰霊碑。

頼家を、酒や女遊びに溺れさせたという、、

 

頼家の慰霊碑、後方に墓

頼家の菩提を弔うために政子が寄進した指月殿。

ひょっとしたら、後ろめたさの償いかも。

 

絵馬とお守りの自動販売機、初めて見ました。

 

竹の小径

 

 

高台には、謀反のかどで幽閉ののち自刃した異母弟の範頼の慰霊碑。

武士の始めは、武士道どころかヤ〇〇並みの血の闘争ですね。

 

 

 

 

 

お家に鯉のぼり飾ってる?

 

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