訃報 | んめぶろ

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ふつーにブログも書いてるけど、facebookとかではできないおたく話も書けるかなって。
まんが話は9番目のムサシ長いです^^;細々と仲間探してます。あと明治失業忍法帖。その他。

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最近有名な漫画家さんなどの訃報も多かったですが、
うちも、ねこのめいが2月に、3月のお彼岸前におばが亡くなりました

 

めいは、めいの異常に気づいてから1週間でした

毎日おふとんで一緒に寝ていたりついてきたり呼んだりお膝で寝たり見つめてくれたりしていたのに、こんなに早くいなくなってしまうとは思わず、また最期はとても苦しんだので、とても悲しいです

姉妹のゆりもとくに最初のうちごはんのたびめいを呼んでましたし、私もなんとなく空に呼びたくなってしまいますし実際こっそり呼んでみたりします

とてもいいこいいこでした

もういろんなとこ自由に、楽しくしていてくれたらいいな


ちなみに姉妹ねこのゆりちゃんは元気ですが、前よりやたら呼び鳴きをするようになりました

最初はごはんの時など、めいを呼んでたんだと思います

ただ鳴きながら💩してたりもするのでなんで鳴いてんのかやっぱりよくわかりませんw
あとやたら首なでてって実力行使(立ち上がって手でヒトの手や腕を引寄せる)もしてきます

前はめいと並んでごはんがつがつ食べて途中でめいと皿交換して食べて(←謎)すぐ戻したりも多かったですが、ここのとこは置いといても何回かに分けて食べるようになり、吐き戻しも少ないです
ゆりちゃんは元気で幸せに生きてね

 


 

おばについて

彼女が中学生くらい?の時脳神経?の病気が発症し私が生まれたころにはすでに寝たきりも長くなっていて、十数年前施設に入るまで家に同居していたおばでした
時間はかかるけど話したりはできて手がビクッとなってしまうけど本とか読んでました
介護保険制度ができてから布団が介護ベッドになり、デイサービスやショートステイで家族以外の人にもたくさん会うことになったり色々「自分でする」ができるようになったり、世界が子どものころ以来で広がったんじゃないかなと思いました
 

そのころショートステイで好きな施設ができて、そこに似た雰囲気ということで十数年前に内陸の施設に住所をうつしていました

車椅子で自走してる時は楽しそうで、介護保険制度前まではずっと寝たきりか車に乗るのしか見たことなかったので、よかったなあって思ったな

けど1度転倒してからは怪我は治ったけど、安全のためか私が会いにいったときは自走してるとこを見たことはなかったです


(時に亡くなったのがちょうど彼岸入り前で和尚さんの予定がとれず葬儀が次の週までずれ込んだりバタバタしました
地元は通夜→火葬→お葬式 なのでその点は良かったかも…
あと市外に住所を移していたのでその辺今もおじと父と母がばたばたしてたりします
ついったで「法定相続情報一覧図」というものの説明が流れて来てブクマしといて良かったですが、さて手続きするのは私じゃないのでその感想はいかに…となってます)
 

おばが家にいたことで、今思えば色々学びがあったようにも思います
ストローで飲むので、「あたたかい飲み物」も私らの感覚でいくと熱すぎるので温度に気を付けたり、そもそもその存在を家族として自然に思えていたこと

介護保険制度以前も介護をしていた故祖母のこと


めいもおばも、ありがとうね