第二章 彼女
(46)県外へ行こう
普通に振る舞うこと。
毎日それを目標にがんばった。
残暑もすっかり去って過ごしやすくなり、夏の暑い時期には立て込んでいた仕事も落ち着いてきた。
仕事での支障は絶対作りたくない。
千秋先輩に言われるまでもない。私が傍にいられる理由はそれだけなんだから。
あからさまにしたつもりはないけど、相葉さんとはなんとか少しずつ距離を置こうと努力はした。
とにかく普通にを意識し過ぎて、ただの後輩ってどんなだったか余計わからなくなって、むしろ不自然だったかもしれないけど。
11月。紅葉も茶色く枯れてきて、すっかり寒くなった。
追われるように仕事を覚えてこなしていた頃から比べると、毎日はぐっと落ち着いてきて、今まで教わったことや分かりかけてきたことを整理して、次の仕事に活かせるようになってきた。
そんなとき、相葉さんから久しぶりの誘いがあった。
『波奈ちゃん』
「はい。なんでしょうか」
笑え私。
『今度、ひとつ隣の県で博覧会があるんだ。一度見ておきたいから行ってこようと思うんだけど、波奈ちゃんも良かったら一緒にどうかな? 勉強になると思うよ。ちゃんと路線を選べばそんなに遠くないし。一日はかかると思うけど。…もちろん私的なことだから断ってもらっても全然構わないよ』
図書館以来、休日に誘われたのは初めてだった。
あの口約束はまだ消えてなかったみたい。
でも、あれから時間が経ちすぎていて、相葉さんのほうも、もうあの時の口約束は無効になってるんじゃないかと思っているみたいに、どこか心許なそうに聞いてくる。
「わかりました。ありがとうございます。ご一緒させてください」
嬉しい。
あの約束、消えてなかったんだと思ったら、迷うふりをするのも忘れて返事した。
『良かった。断られるかと思ったんだ。休日をつぶしてしまって申し訳ないけど、よろしくね。楽しみだよ』
断われるわけがない。
そんな嬉しそうにほっとした顔で、ひまわりみたいな顔して笑って楽しみだなんてうっかり言ってしまう相葉さんが、憎らしくて大好きだ。
県外の博覧会なんて、けっこう遠いし電車を乗り継いでの外出になるから、きっと一日中を相葉さんと一緒に過ごすことになる。
嬉しくて即座に返事をしてしまったけど、私大丈夫だろうか。
心配は心配だけど、この誘いを断るなんて考えられない。
「よろしくお願いします、楽しみです」
と言った。
楽しみで、その日自分がどれだけ舞い上がって、そして後でどこまでどん底に落ち込むか、今から簡単に予想できて、怖くなった。
当日。
もう私は、浮かれて服を新調するなんてことはしなかった。
ただ、ビジネスシーンにふさわしいカジュアルなパンツスーツにして、たくさん歩くはずだから楽なかかとが低めの靴にして、髪もうるさくないようにまとめた。
アクセサリーは…迷って、ネックレスは止めておいた。
なぜなら花火の帰り道を思い出すから。
そんなのを身に着けていたら、どうかするとまた触れてくれないかとさえ思ってしまうから、そんな自分を戒めるために。
会場までの電車は、相葉さんが事前に効率のいいルートを選んでくれてあって順調だった。
それでもやはりひとつ県隣なのは遠くて、到着したのはお昼前だった。
着いてすぐに少し早いけど混んでくる前に食事しておこうということになった。
一緒に食事するのは久しぶりだ。
ずっとそんな機会はなかったから、久しぶりにテーブルを挟んで向かい合わせに座ってどきどきした。
目を合わせられなくて、下を向いてお茶を飲んだりしないと気分が落ち着かない。
でも、相葉さんが出してくれる話題はどれも楽しくて、たくさん笑った。
優しく響く穏やかな低い声も、楽しそうに喉で笑う明るい声も、おひさまみたいなくしゃくしゃの笑顔も。
食べ終わって店員さんにお金を払う時も、ごちそうさま、と自然に声をかけてにこっと笑って出てくるところも本当に好き。
お金は、出しとくよ、と当然のことのように言ってくれたけど、頑なに、いいえ出します、あんまり出していただいてると次から来にくくなっちゃいますから、と言ったら今回は素直に聞き入れてくれた。
次から。
自分でそんな言葉がぽろっと出てしまって、次も誘って欲しいと内心思っていたのが図らずも知られてしまって、一瞬まずいと思ったけど相葉さんはそこは気にならなかったみたいで、それもそうだね、じゃあ次も遠慮なく来てね、と全開の笑顔で言われた。
はい、と私も笑顔で答えながら、この会話は何を意味しているんだろう、と思った。
次の誘いなんてあったら、これからもそんなことされたりしたら、また普通に振る舞うことが困難になるのに、困る、と思った。
でも困ると思う傍から嬉しさが込み上げて、胸が締め付けられる。
代わりでもいい。こんな風に楽しく過ごせるならそれだけで。
久しぶりにこんな風に過ごして、緊張もしたけど会社の外で会うとなんとなくいつもと違う空気だから、とてもリラックスしてる。
ここはひとつ県隣で、千秋先輩からも潤くんからも遠いところにいて、余計リラックスする。
会社ではずっと、普通に振る舞うことに気持ちを置き過ぎてかえってぎこちなくなったり、不自然に避けてしまったりして後で落ち込んだりと、毎日気を張っていたから。
相葉さんが微笑むと胸が苦しくなる。
もう気持ちはいっぱいいっぱいで、顔に笑顔を張りつけながらせつなくて苦しくて、でも今日という一日が終わらなければいいと思うくらい、二人きりで隣にいられて幸せだと思った。
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