ヨロブーンアンニョンハセヨ
今日は、uccaの大切な韓国の家族のお話をさせて下さぁい
もぉ5年前のことですが
2011年の今日は、わたしが渡韓を決めるに至る、ある「事件」?が起った日
それから約二か月後の4月1日から、まさかのuccaの韓国留学生活が始まったんです
よくもまぁ勢いだけで行っちゃったよね
ガーーーンとする出来事だったけど、今振り返ると色々な意味で良い「きっかけ」を与えてもらえたと思うっ
だから、その事件にも感謝せねばです
そんなドタバタで決めた韓国留学
当時のわたし
韓国・ソウルについてド素人
でも、韓国旅行中に、アックジョンの駅からギャラリアデパートに続く道を歩いているとき
「あぁ、この街なら住めるかも」って、なぜか思ったことがあったの
↑これを韓国チングに言うと、アックジョンなら誰だって住みたいでしょって言われる
その妄想だけをたよりに(笑)住む街をアックジョンに決めたんだった
わたし、韓国留学を振り返って、本当に良かったと思える出来事の一つに、「韓国の家族」ができたことがあります
アッパ(パパ)とオンマ(ママ)のお陰で韓国という国がとても近い国になり、2人から生きた韓国生活を教えてもらいました
帰国してからも、可能ならばHotelぢゃなくて、アックジョンのお家に帰り、短い時間だけど一緒に過ごしてました
でも、昨年は弾丸トラベラーだったので、お家にも行けず、一目会えれば良いほう
ヨーロッパやらニューヨークにバカンス行っていて、ソウルに行けずにいた夏に…
アッパが亡くなってしまったんです。
私が在韓中に胃がんがみつかり、余命宣告された夜、オンマと2人で大泣きしたこと、今も覚えてます
オンマが「泣くのはアッパがいないところで泣こうね。アッパには涙みせるのやめようね」って、その日は2人でたくさん泣いたよー。
癌がみつかり余命半年と言われてから4年。
痛くて苦しいことの方が…多かったかもしれません。
それでも、uccaがお家に行けばご飯を作り、食べさせてくれて、色々と送り迎えもしてくれて…ありがとう
アッパ天国では大好きなお酒を飲んで、ゆっくりしていてね
アッパがいなくなって、お家もアックジョン駅近くにお引越ししました
なので、uccaが住んでいたお家へは、もう帰る事ができません
でも、わたしはこれからもずっと、アッパが大好きだった文明堂のどら焼きと、オンマが大好きな靴下を持ってソウル入りするね
右側のオレンジコートがオンマです
オンマは未だに自分のお友達やお客様に
「わたしの娘よ。日本にいる娘が帰ってきたの」と紹介します
そして、この間久しぶりに会ったら、uccaの顔を見るなり号泣したオンマ
会いに行けなかった親不孝を反省
オンマとオンマ甥っ子の後姿
微笑ましくて、思わず盗撮
甥っ子「コモ(おばさん)、ヒョン(オンマ息子)みたいな息子はそうそういないよ。知ってるでしょ?」
オンマ「あなたがいるぢゃない」
甥っ子「ヒョンにはかなわないよ」
そんな会話をしている二人
ちなみに甥っ子がしてる赤いマフラーは、オンマにムリクリ巻かれた品
いらないいらないっていっても、寒いんだから巻きなさいって、本当にムリクリ
甥っ子「寒くないから大丈夫だよ」
オンマ「いや、寒いっ!」
甥っ子「………」
オンマ「いくらだと思ってんの!高級なのよ」
と、自分から巻けと言っておきながら、いくらだと思ってんの!とか、めっちゃ韓国ドラマに出てくるから笑える
そんな愛すべき 韓国の家族
出会えたことに感謝です
あの事件がなかったら、韓国に家族はできなかったし、uccaはソウルに行くこともなかったし、韓国をこんな風に思うことは絶対になかったハズ
そして、ブログを書くことも無かったので、皆さまとこうやってブログを通して知り合うこともできなかったね
そう考えると、日々の中でぶち当たるガーーーーンな出来事も、その時は本当にガーーーーンなんだけど、数年先に笑っていられる為のエネルギーになるかもしれないと思えるワケです
思い起こせば今日は、uccaが渡韓を決めるに至った日だったので、こんな出会いと別れを、ブログに残してみましたっ
ヨロブーンいつもありがとうございます
そして、サランハムニダ~