丸山眞男「超国家主義の論理と心理」から(4) 民主主義革命がなかった日本 | ユビュ王の呟き

ユビュ王の呟き

右でも左でもない政治について語るブログです。
左右の典型的思考に嵌り自由を失うのではなく、自らの身体的感覚を重視しそこから考える。
反グローバリズム、反ワクチン関連の話題を中心にしていきます。

 

前回の記事では、「無責任の体系」は、ムラ社会の全会一致の原則から生まれてきているという仮説を提示しましたが、しかし日本は確かに民主主義国家のはずなのに、「民主的っぽく見える別の何か⁼ムラ社会の全会一致の原則」の行動原理によって動いている(動かされている)とは妙な話で、なんでこんなことになるんだと思うんですよね。

そのことについて、丸山眞男は日本における「民主主義革命の不在」が原因だと言っています。

 

 

日本のファシズムはドイツやイタリーのようなファシズム「革命」をもっておりません。前にも一言したように、大衆的組織をもったファシズム運動が外から国家機構を占拠するというような形はついに一度も見られなかったこと、むしろ軍部、官僚、政党等の既存の政治力が国家機構の内部から漸次ファッショ体制を成熟させていったということ、これが日本のファシズムの発展過程におけるもっとも大きな特色であります。(p.102-103)

 

 

なぜ日本において国民の下からのファシズム、民間から起こったファシズム運動がヘゲモニーを取らなかったのか。なぜファシズム革命がなかったかということはなかなか重大な問題です。私もこうした短い時間でこの問題を詳しく申し上げることはできませんが、少なくとも次のことだけは確かだと思います。即ち、ファシズムの進行過程における「下から」の要素の強さはその国における民主主義の強さによって規定される、言い換えるならば、民主主義革命を経ていないところでは、典型的なファシズム運動の下からの成長もまたありえない、ということです。

ドイツやイタリーにおいては、ともかく第一次大戦後、ブルジョア民主主義が確立し、その地盤の上に強大なプロレタリアートの組織が形成された。(中略)と同時に、大衆をそうした社会民主党なり共産党なりの影響から奪い取って、ファッショ体制の下に組織替えするには、それだけ巧妙な民主主義的偽装がぜひとも必要であった。ナチスが自分こそ真の「社会主義」の実践者であり、労働者の党なんだということを見せつけなくては大衆を吸引することができなかった。そのことはドイツにおいて、イタリーにおいてさえ、すでに下からの大衆の力がいかに強大なものであったかを物語っているとともに、そこにファシズム組織の中にある程度の「下からの要素」を、欺瞞のためにせよ、保持せざるを得なかった理由があるのであります(p.117-119)

 

 

赤字の箇所で明確に日本は民主主義革命を経ていないと言っていますよね。

しかし日本では明治維新があったじゃないかとちょっと反駁したい気持ちになりましたが、ここで明治維新がどのような性質のもので、またその主体は誰であったかを考える必要がありますね。

 

 

明治維新は民主化を要求する民衆の下からの突き上げではなく、外国の脅威に対応するために起こったものであり、またその主体は末端とはいえ支配階級に属する下級武士が中心だったと言えると思います。

士農工商という当時の階級でそれを担ったのは紛れもなく「士」に属する階級で、もちろん個々の事情を細かく見れば農民がそれに参加した例はあるしょうが、全体として見た時の話ですね。

つまり民主主義というからには「士」以外の農工商が主体となる革命を経る必要があったのだけれども、日本でそれは起こらず、明治維新はあくまで「上からの」性質だった。

そしてそれが日本における民主主義の弱さに繋がっているという理解ですね。

そのように説明されると確かにその通りで、僕たち日本人は民衆が主体として民主主義を打ち立てるという歴史を経験していないのは事実だと思います。

 

 

僕個人の感覚としても、またこれは多くの日本人に当てはまると思いますが、あまり政治のことを人に語るのは良くないという傾向があって、また政治参加といってもせいぜい投票に行くくらいですよね。

しかし本来民主主義における意志表明はそれだけではないはずですが、この前のパンデミック条約反対デモに参加するのでさえ個人的には一線を越える的な勇気が要ったのは事実で、僕自身がもともとその程度の「政治的無関心層」の一人なのですから分かるのですが、選挙があっても過半数に近い数が選挙に行かない日本において、選挙に行っても投票してそれで政治参加は終了で、あとはよろしくやってよねという丸投げの受け身の姿勢が日本人の中心的態度だと思います。

その後選挙時の公約が守られなくても政治家の不実を詰りまた裏切られたと文句を言うのがせいぜいで、フランスのようにその不満をデモなり暴動なりで表明するようなことは「はしたないこと」のように感じるのでやらない。もっとも暴動が正しいかどうかという話は別にして、日本人の政治に対する中心的態度が受け身で消極的であるというのは事実だと思うんですね。

そしてその姿勢がそもそも日本人が民衆が主体の民主主義革命を経験してないことに原因があり、現在の民主主義も「上から」もたらされたものであると考えれば、確かに納得できる話です。

 

 

言うまでもなく、あらゆる革命政権が権力を掌握してまず直面する政治的課題は、旧体制の社会的支柱をなしてきた伝統的統合様式を破壊し、反革命の拠点となるような社会集団、共同体、地方組織、反動的結社などを解体して社会的底辺に新たな国民的等質性を創出することである。それは同時に新たな価値体系とそれを積極的にになう典型的な人間像(例えばフランス革命における「市民」、人民民主主義における「人民」)にたいする社会的な合意を勝ち取る道程でもある。(p.312)

 

 

今の僕たちの自意識を観察すると、赤字に示したようなフランス的な「市民」とも違うような気がしますし、また「人民」となるとさらに遠い気がする。

強いて言えば「国民」という言葉がしっくりくるかなという気がするのですが、それが明治維新による破壊の結果、社会的底辺に新たな国民的等質性を創出された人間像であると。

ではその「国民」の基盤となった社会的底辺とは何かというと、それは士農工商における「士」以外の「農工商」、その中でも多数を占めていた「農」だったと思うんですね。

 

 

明治維新もフランス革命も旧体制の社会的支柱をなしてきた伝統的統合様式を破壊という過程を取ったことで似たような形があったと思いますが、フランス革命で貴族階級が国外逃亡したり弾圧されたりした結果「市民」が現出したように、明治維新でも戊辰戦争でまず旧体制側の武士階級がやっつけられ、その後の廃藩置県や廃刀令で武士が骨抜きになっていった。

引用内における反革命の拠点となるような社会集団、共同体、地方組織、反動的結社などを解体ということですね。

そのような急激な改革についていけず、また革命の分け前をあずかれなかった士族の反乱が明治初期の10年に頻発し、その最後で最大のものが西南戦争でしたが、それによって薩長土肥という革命に参加した側の武士階級が破壊されることで明治維新が確立されたと。

 

 

明治維新の主体はやはり武士でした。

そして武士とは死よりも名誉や誇りを重んじ、それを切腹という極端な手段で確保していた点で他と明確に区別されていた階級ではなかったかと。

武士は明治維新が確立された時点で滅び、現在の日本における「国民」、つまり僕たちの直系の先祖は誰かというと、それは「農工商」、特に大多数を占めていた「農」がその基盤になるのではないかと思います。

 

 

僕は今の日本は「一億総鈍百姓社会」だと思うのはそれが理由で、僕たちの主体性のない政治の在り方や政治家たちの「無責任の体系」、戦中「鬼畜米英」と言い原爆のような大量虐殺をされながら戦後は手のひら返しでその仇敵の支配を喜び、あろうことかこれで良かったなんて言えてしまう家畜のような根性は、まさに僕たちの本質が百姓であることからきていると思うんですね。

コロナワクチンによる薬害で過去未曽有の死者が出てても、あれはあれで仕方がなかった、なんならそれでも皆やっていけているんだからよかったじゃないかなんて思えてしまえるのは、やはり僕たちの根性が鈍くさい百姓だからだと言えば納得できるのです。

 

 

そのような無能な「農」の中から辛うじて選挙でましなのを選ばざるを得ないとして、例えば高学歴であるとか、有名人であるとか、金をうまく稼げるとか、アメリカ帰りであるとか、見た目がさわやかであるとか、常識があれば出来ないような罵詈雑言を吐けると言った基準で選んでも、その連中の本質が「農」である以上、いざという時にムラ社会の論理に従って責任回避に終始するのは目に見えていますよね。

世襲政治家が選ばれるのは僕たちの百姓としてのDNAが、血筋によって保証された地域の統治者を求めているからではないでしょうか。つまり江戸時代の藩主のような存在を無意識のうちに求めていると。

しかし世襲政治家も結局は疑似士族で本物の士族ではないから、堕落する一方で到底使いものにならない。つまり社会が変わっているのに僕たちの意識が江戸時代から変わっていないからそのような愚かな選択をしてしまうということですよね。

 

 

伊藤博文がビスマルクを気取ったのは滑稽であるが、しかし彼にしてもその他の藩閥権力者にしても、一応は革命のしぶきを浴びつつ己自らの力で権力を確立した経験を持っていた。彼らは官僚である以前に「政治家」であった。彼らはおよそ民主主義的というカテゴリーからは遠かったが、それなりに寡頭権力としての自信と責任意識を持っていた。(p.201)

 

 

伊藤博文をはじめとした革命の経験者が存命のあいだの日本はまだ良かったということは司馬遼太郎も似たようなことを言っていましたが、彼らが卒世した後の日本の指導者は「農」の本性に引きずられ、ムラ社会の寄り合いに見られるような「無責任の体系」の中に落ち込んでいったと言えるかなと。

このような状態を脱するには丸山眞男の言うとおり、民衆が主体の革命が必要なのかもしれません。

革命とは物騒に聞こえるかもしれませんが、自分たちが政治を変える主体だという意志を貫くことであると定義すれば、それは必ずしも流血をともなう必要はないはずです。

 

 

四回連続でこの本からの記事になりましたが、今回で終わります。

他にも読みたい本はいろいろあるので、今後はたまにはこのような本をネタにした記事を書くこともあるかな。