丸山眞男「超国家主義の論理と心理」から(1) 雑談風に | ユビュ王の呟き

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右でも左でもない政治について語るブログです。
左右の典型的思考に嵌り自由を失うのではなく、自らの身体的感覚を重視しそこから考える。
反グローバリズム、反ワクチン関連の話題を中心にしていきます。

 

 
以前のブログで「日本では責任が重くなればなるほど責任を取らなくて済むようになる」と書いたことがあるのですが、その時に政治学者の丸山眞男に「無責任の体系」という言葉があることを知りました。
その言葉の中に僕の疑問の答えがある気がして、図書館でこの本を借りてきたんですね。
そして読んでいるのですが僕はもともと遅読な上に易しくはない本なので、まだ100ページを越えた程度しか読み進めておりません。
そんな段階であれこれ言うのは僭越かもしれないのだけれども、読んでいてハッとした箇所を引用し、それについて僕の感想を述べるという形でこの記事を書いてみたいと思います。
まあ、要するに自分の読書記録ですね。
引用部分が長くなるのはご容赦ください。
 
 
これは一つには、日本のインテリゲンチャが教養において本来ヨーロッパ育ちであり、ドイツの場合のように、自国の伝統的文化の中にインテリを吸収するに足るようなものを見出しえないということに原因があります。ドイツの場合には国粋主義を唱えることは、つまりバッハ、ベートーベン、ゲーテ、シルレルの伝統を誇ることです。それは同時にインテリゲンチャの教養内容をなしていた。日本にはそういう事情がなかった。しかし日本のインテリのヨーロッパ的教養は、頭から来た知識、いわばお化粧的な教養ですから、肉体なり生活感情なりにまで根をおろしていない。そこでこういうインテリはファシズムに対して、敢然として内面的個性を守り抜くといった知性の勇気には欠けている。しかしながらともかくヨーロッパ的教養をもっているからファシズム運動の低調さ、文化性の低さには到底同調できない。こういう肉体と精神の分裂が本来のインテリのもつ分散性・孤立性とあいまって日本のインテリをどっちつかずの無力な存在に追いやった。(p.94-95)
 
 
これは僕が常々感じていたことで、特に僕は仏文科だったせいか、特に赤字の部分は強い実感があるんですね。
日本人は明治維新以来西欧文化を受容してきたけれども、それは頭の中だけで、身体的感覚にまで根差していない。したがってしばしば頭に体がついていかなくて分裂の症状を呈しているということですね。
明治期の知識人、夏目漱石などにも顕著に表れていた問題でもある。
例えばブラック企業の問題やコロナ禍の下での社会の動きを振り返ると、表面的には民主主義の先進国に見えて、内実は人権意識や権利意識の低さと、危機において全体の中に個人が溶けて消えてしまうような傾向を見出すことができますが、明治維新から150年以上経ってもこの状況はほぼ変わっていないと言わざるを得ません。
 
 
ものすごく乱暴な言い方をするならば、頭を重視するのが左翼で、体を重視するのが右翼だと思います。
この状況を脱して頭と体を一致させるには頭が体をじっくり観察しそれに合わせることが必要な気がしますが、ただしそれがファシズムであっては困るんですよね。
 
 
すぐ気が付くことは日本のファシズムが軍部及び官僚という既存の国家機構の内部における政治力を主たる推進力として進行したこと、いわゆる民間の右翼勢力はそれ自身の力で伸びていったのではなく、むしろ前述の第二期に至って軍部ないし官僚勢力と結びつくに至って初めて日本政治の有力な因子となりえたことであります。この点、イタリーのファッショやドイツのナチスが、むろんそれぞれの国における軍部の支援は受けましたが、とにかく国家機構の外から、主として民間的な力の動員によって国家機構を占拠したのと著しく違っております。(p.83-84)
 
この箇所から僕が思い起こしたのは、ここ30年くらいの日本の右傾化現象ですね。
バブル崩壊によって経済が不調に陥り、それが深刻になった90年代後半からそれは活発になり、特に小林よしのりの「戦争論」はその象徴とも言えるものですが、日本会議の設立も1997年なんですよね。
そこから発生したネトウヨ的言説は、今や内閣の大臣に座るような有力政治家にさえ見られる一般的な考え方にまでなってしまっていると思うのですが、下から起こった右翼運動を上が吸収し利用するという形は、戦前の大恐慌から始まる不況からのファッショ化と相似形をなしているような。
歴史は繰り返すと言いますがまさにそうなのかもしれません。
 
 
幕末に日本に来た外国人は殆ど一様に、この国が精神的君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下に立っていることを指摘しているが、維新以後の主権国家は、後者およびその他の封建的権力の多元的支配を前者に向かって一元化し集中化することに於いて成立した。「政令の帰一」とか「政刑一途」とか呼ばれるこの過程に於いて権威は権力と一体化した。(p.15)
 
 
明治維新前の日本は精神的権威と政治権力は分離していたのですが、維新後はそれが一体となった。
なぜそうする必要があったのかというと、外敵と戦うための求心力として天皇が必要だったからだと思うんですね。
それは↓の明治天皇の写真を見ると感覚的にも分かると思います。
 
 
佩刀し金モールの軍服を着た姿は、それまでの天皇の姿とは全く違います。
それまでの天皇にはこのような「武」の要素は全くなかった。
明治政府は天皇のイメージを作るうえで、その当時戦争の強かったドイツを参考にしたと言われていますが、このことからも明治国家が他国と戦争をするためにデザインされたと言ってよいと思います。
現に明治維新前の歴史で外国と戦った史実は豊臣秀吉の朝鮮侵攻まで遡るはずですが、維新後は日清日露に日中戦争、そして第二次大戦と、短い期間で戦争ばかりしていた。
それは戦争をするために作られた国家だったからと考えればごく自然のことですよね。
 
 
僕は右翼ではないので、このような国家における天皇の位置づけに非常な問題があったのではないかと思っているんですね。
天皇は本来あくまで精神的・祭司的権威であったはずで、それは今のローマ教皇に近いのかもしれない。
全国の神社の代表のような立場くらいがちょうどいい。
しかし日本は明治維新後天皇の下に戦う軍隊を擁する国になってしまった。
敗戦後天皇は国民統合の象徴となり軍の統帥者ではなくなりましたが、それでも国家の中心に組み込まれているのは変わりがない。平和憲法で軍事化に制約がつけられていますが、それも憲法改正すれば済む話です(憲法改正が悪いという意味ではありません。ただどのように改正するかが問題)
GHQが本当に良心の下に改革をしたならば天皇をそこから外して、本来の祭司的立場に戻すべきだったのではないか(なぜなら、天皇が国の中心にいる限りいつでもファッショ化に利用される恐れがあるから)と思うのですが、そうしなかったのは天皇が日本を間接統治するうえで利用価値があったからではないかと。
 
 
僕個人の考え方としては、明治維新が起きたことは当時の状況から考えて仕方ない面があったとは思いますが、あそこで外敵と戦う国家としてデザインされた結果、日本がなし崩し的に戦争を次々と起こし自己統御が効かず最終的に破滅してしまった。
その一因は天皇の権威をあのように軍事的に利用したからだと思うんですよね。
天皇はあくまで京都にいて国民に慕われながらも全国の神社の代表にとどまり、政府は富国強兵に努めながらも侵略はせず専守防衛に努める、そのような国の在り方もあったのではないでしょうか。
 
 
日本が外敵の大規模な侵略を受けたのはそれこそ13世紀の元寇にまでさかのぼると思うのですが、地政学的に言っても島国の日本は侵略を受けづらい位置にいます。
日本は明治維新前はほとんど外敵との戦争を経験することがなかったし、確かに19世紀の世界情勢は帝国主義全盛の難しい時代でしたが、スイスの例を考えるならば、たとえ地続きの小国でも中立を守り通した例はありますよね。ましてや日本は島国なので専守防衛はずっとやりやすいはず。
 
 
それなのになぜ明治維新後の日本は外敵との戦争のために国家をデザインしてしまったのかと言うと、想像になりますが侵略恐怖症というか、不安に弱い日本人の心理的特性があるのではないかと思うんですね。
現に現在の僕たちの身近にも「あんしん・あんぜん」という言葉はあらゆるところで見られると思います。このキャッチフレーズが意味しているのは、不安を宥めることで購買やらなんやらの行動に進ませようとする誘導だと思います。
 
 
他者に対する攻撃性とは不安の裏返しである。
これは人間の心理として普通にあり得ることで、こうした心の動きはしばしば僕たちの周りにいる人間の行動から推察できるものですが、それは国家の心理においても当てはまることだと思います。
事実維新以降の日本の戦争はほぼ日本からの先制攻撃から始まっていて、これは「やられる前にやる」という論理の下に行われたと思いますが、「やられる」という不安心理がなければ「やる」という行動にはならないはずです。
それによって日本は被害者意識を持ちながら加害者になるという意味不明なことになってしまった。
それは日本人の心理面での弱さからくるものだと思うんですよね。
憲法にしても僕はそうした弱さに対する防壁としてあるべきではないかと思うのですが、一般に憲法改正論議はこういう心理的要素を加味したものはあまり見られないように感じます。
 
 
コロナ禍で実感させられましたが不安とは理性よりも動物的本能に根差しているので、これを刺激すれば人間は統制しやすくなる。
今の中国脅威論もこのような日本人の不安に付け込み統制する動きが背景にあると思うのですが、今の日本人に根強い反中姿勢、多くの日本人は戦争に対して嫌悪感があるとは思いますが、なんとなく中国って嫌な国だよね、という程度には広く反中感情が根付いている。
このような状況は容易に攻撃性に転化しうるので、なんとなく嫌な感じがするんですね。
 
 
まず第一には家族主義的傾向を挙げることが出来ます。—家族主義というものが特に国家構成の原理として高唱されているということ。日本の国家構造の根本的特質が常に家族の延長体として、すなわち具体的には家長としての、国民の「総本家」としての皇室とその「赤子」によって構成された家族国家として表象されること。しかもその際例えば社会有機体説のように単に比喩として言われているのではなくして、もっと実体的意味をもって考えられていること。単にイデーとして抽象的観念としてではなく、現実に歴史的事実として日本国家が古代の血族社会の構成をそのまま保持しているという風にとかれていること。これが特に日本のファシズム運動のイデオロギーにおける大きな特質であります。
 
(中略)
 
例えば日本村治派同盟の書記長、津田光造は次のように述べております。
日本の家族主義においては、社会の基調を西洋近代の文明諸国に於いて見るが如く、個人の権利の主張に置かず、実に家族なる全体への奉仕に置くのである。家族は社会上、一個の独立した生命体或いは生活体としてそれ自身一個の完全細胞である。個人はこの完全細胞の一部分或いは一要素たるに外ならぬ。ーこの家族主義の延長拡大が取りも直さず我等の国家主義でなければならぬ。けだし我等の国家主義はこの家族の民族的結合体に外ならぬからである。この民族的結合体としての国家の元首、その家長、その中心、その総代表はすなわち天皇である」(p.60-61)


日本は天皇を家父長とする巨大な家父長制国家であるということを言っていますね。要は日本人は皆天皇の子供であり親族であると。
全体の中に個人が溶けてゆき埋没する傾向は神風特攻などに顕著に表れていたと思いますが、こういう見方を知ると、なぜ今の自民党の改憲案の改憲草案24条1項に、「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という一文があるかが理解できると思います。
 

 

改憲草案24条1項の新設規定は現行憲法の理念を覆す危険性を有しています。
 そもそも現行憲法13条は「全て国民は個人として尊重される」と規定していますが、改憲草案により「個人としての尊重」から「人としての尊重」へ変更することが提案されました。これに加え、改憲草案24条が「家族の尊重」規定を新設したわけですから、自民党改憲草案では「個人の尊重」よりも「家族の尊重」「家族という集合体」を重視しているといえます。しかし、現代社会は価値観の多様化が進行し、家族の捉え方やライフプランは人それぞれです。当然、個々人に家族を形成しない自由も認められていることからすれば、「家族の尊重」規定の新設は、自民党が考える家族のあり方を国民に押し付けていると言わざるを得ません。
 
 
この一文は憲法学者等が等しく問題視しているらしいのですが、日本を巨大な家父長制国家とみるならば、自民党がこの一文を入れたがっているのが理解できます。
すなわち、家族の尊重とは天皇の尊重、そして国家の尊重となる。
 
 
「家族は互いに助け合わなければならない」とは一見いいことに聞こえますが、国民は天皇を、天皇を頂点に戴く国家を助けろということにつながるのではないかと。これは戦前回帰志向ですよね。
そして最近の政治を見るに、国民が国家のために奉仕するのは当然視されても、国家が国民のために奉仕するか。つまり相互扶助が成立するかは甚だ疑問ですよね。
こういう「家族」を強調する向きは、統一教会が現在「世界平和統一家庭連合」と名乗っていることともつながっているような気がします。
まあ平和を謳いながらきな臭さをぬぐえないところがなんとも複雑な気持ちにさせられるところであります。