ウクライナ戦争を振り返る 和平交渉を反故にした「ブチャの虐殺」 | ユビュ王の呟き

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ウクライナ戦争が始まってすでに三年目になるわけですが、この戦争を振り返ってみたいと思います。

個人的にこの戦争のターニングポイントは開戦初期に起きた「ブチャの虐殺」だったと思っています。

あれのおかげで合意に向けて前向きだった和平交渉が反故にされ、戦争が長期化し、いたずらに双方に死傷者が増え、お互い引くに引けない状況になってしまった。

 

 

 

最初の会合は侵攻開始から4日後の2月28日にベラルーシ・ホメリ州(詳細な位置は非公開)で行われたが、何の成果も得られず終了し、両国の代表団は協議のために各々の首都に戻った[1]。第二、第三の和平交渉は2022年3月3日[2]と3月7日に[3]、ポーランドとの国境に近いベラルーシのブレスト州で行われた[4]。第四、五ラウンドの和平交渉はトルコのイスタンブールで3月10日と14日に行われた[5][6]。

 

 

僕は戦争開始当初まめにニュースをチェックしていたのですが、侵攻してすぐの時点から和平交渉は始まっていたんですよね。

 

和平交渉の再開: 3月29日 - 30日

3月28日、和平交渉が3月29日にイスタンブールで再開される見通しが示され、ゼレンスキーはインタビューの中で、「ウクライナの安全保障と中立化、非核の立場に向かう準備ができている」と述べ、NATOの加盟に代わる新たな安全保障の枠組みについて議論する用意がある考えを示した[43]

 

 

この和平交渉の進展を僕は固唾を吞んで見守っていたのですが、交渉はだいぶ進展しており、成立に向かっていたことは他の報道を見ていても明らかでした。

僕はこんな戦争はさっさと終わらせたほうがいいと思っていたので、この交渉を祈るような気持ちで見守っていましたが、そのような意見をネットで表明しようものなら好戦一色に染まったネット民から総叩きに合う状況でしたね。

 

 

2022年の段階ではロシアの要求に領土は含まれていませんでした。

ロシアもまだ死傷者の少ない開戦初期ではその程度の条件で済んだはず。

もちろんクリミア半島やドンバスのように侵攻前からウクライナから切り取られた地域は戻りませんが、少なくとも侵攻前の段階には戻れた。

そもそものロシアの戦争目的は「ウクライナの中立化と非ナチ化」だったのですから、必ずしもそこに領土的野心があったわけではなかった。だからゼレンスキーもロシアとの交渉について「飲めない条件ではない」なんて言えたのでしょう。

 

僕はこのとき、ああよかった、これで戦争が終わるかもしれないと思ったのを覚えています。

ところがそんな気持ちを踏みにじられる事件が起きました。

それが「ブチャの虐殺」です。

 

 

 

 

ロシアは2022年2月24日にウクライナへの攻撃を開始し、ブチャ住民の証言によれば、ロシア軍は2月27日に同市へ侵攻し[11]、その後約1か月間にわたりブチャを占拠していた[12][13]。ウクライナ軍は激しい抵抗・反撃を行い、ロシア国防省によれば、ロシア軍は3月30日にブチャを完全撤退した[14]

 

 

 

ウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキー4月3日アメリカ合衆国のテレビネットワークCBSの番組で、ロシア軍による一連の行動はジェノサイドであると主張した[2]イギリス首相ボリス・ジョンソンは声明で「プーチンとその軍団による新たな戦争犯罪だ」と激しく非難し、経済制裁やウクライナへの軍事支援を強化する考えを示した[2]。一方、ロシア国防省は4月3日、「市民の誰一人としてロシア軍による暴力を受けていない」とロシア軍の関与を一切否定し、殺害された人々の映像や写真は「ウクライナ側による挑発だ」と主張した[2]。ロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使も4日、ブチャで撮影された遺体はロシア軍撤退前にはなかったと記者団に述べ、「遺体は突然、路上に現れた」「一部は動いていたり息をしたりしていた」「ウクライナ側が情報戦争を仕掛けた」としていた[17]。しかし、アメリカの宇宙技術会社マクサー・テクノロジーズが、ブチャがロシア軍占領下にあった3月半ばに撮影し、4月4日に公開した衛星画像でも民間人と見られる遺体が確認された[17]。『ニューヨーク・タイムズ』は4月1日と2日に撮影された動画と衛星画像を比較し、遺体の多くが少なくとも3週間放置されていたと結論付けた[17]

4月5日、ゼレンスキー大統領は国際連合安全保障理事会での演説の中で、今回の件は「第二次世界大戦以降、最も恐ろしい戦争犯罪」であるとしてロシアを改めて非難した[18]

 

 

3月28日 ゼレンスキー、和平交渉に前向きな姿勢を示す。

3月30日 ロシア軍がキエフ近郊のブチャから撤退。

4月3日 ゼレンスキー、ブチャでのジェノサイドを主張。ロシアはこれを完全否定。

 

 

時系列を見ると和平交渉を潰す絶好のタイミングで「ブチャの虐殺」が問題となった(問題化された、というべきか)のが分かります。

あの時日本のマスコミも一斉に「ブチャの虐殺」を報道し、強い圧を伴う感情的な調子でロシアを非難しだしたのを見て、僕はああ、これは和平を潰すつもりなんだなと思いました。

報道姿勢がコロナ禍で繰り返されたのと同じだったので、これは同じ主体が仕掛けていることなんだなと思ったのですが、世の中の大多数はそれに乗せられロシア憎しで盛り上がっていたようで、この人たちは煽られるままに何度でも踊り狂うんだなと寒々と呆れた気持ちになったのを覚えています。

 

 

ウクライナおよび西側とロシア側で真っ向から事実の認識が異なるので、どちらかが嘘をついているのは明らかなのですが、僕はこれが出てきたタイミングと、マスコミの報道姿勢、そしてその後の交渉破談からして、ロシア側の肩を持ちたくなります。

しかしそれは状況証拠でしかないのも確かで、「お前それは陰謀論だぞ、衛星写真だってあるんだからな」と言われかねないので、いったんはウクライナと西側の主張を採用して話を進めます。

たしかに戦争ではどんな残酷なことが起きてもおかしくはありませんから、ロシア軍がそれをやったとしても何も不思議ではありません。

ただ、そうだったとしても、ウクライナと西側のその後の対応に問題を指摘することは可能なんですよね。

たとえ虐殺がロシアの責任であっても、和平交渉を一方的に破談にするのは正しかったのか?という問題です。

 

 

戦争当事国の主権を代表するゼレンスキー大統領が前向きに進めていた交渉です。

和平は戦争が続くことでさらに多くの犠牲者が出さないためのもののはずですよね。

ブチャの虐殺での犠牲者は数百人から千人くらいと言われているようですが、それを少ない数だと言いたいわけではありません。しかし、その後現在まで続いた戦争の犠牲者は、双方ともに数十万人は下らないでしょう。

その膨大な犠牲者のことを考えるならば、たとえ虐殺があったとしても、あのように国際的に大きく喧伝し、問題を大きくする必要はあったかという疑問が起きてきます。

和平交渉を重視するなら、報道は抑制的にとどめておくこともできたはずだと思うんですよね。

子供の喧嘩じゃあるまいし、その時その場の感情に任せて、盛り上がった気持ちのままに交渉を破棄するなんて、一国を代表する政治家の態度とはとても思えないのですが。

この点から、「ブチャの虐殺」の真実がどちらにあるのかはともかく、西側が交渉を潰すためにそれを利用したのは確かだと言えると思います。

 

 

開戦当初のロシア軍の動きは様々な疑問点が挙げられていましたが、ウクライナ全土を掌握するにはそもそも兵員数が足りない(しかしそれはロシアの目的が領土ではなくウクライナの中立化にあったと考えれば納得できます)、またキエフ近郊まで進出した部隊がキエフに乗り込まずに撤退したこともその一つですね。

これは、西側メディアではウクライナ軍の抵抗の戦果で成功だなんて言われていますが、和平交渉の中でウクライナが撤退を要求し、ロシアがそれを呑んだという話もあります。

つまりウクライナが交渉の中でロシアに誠意を示せと要求し、ロシアがそれに応えたということですね。

もしそうだとするならば、整然と撤退したはずのロシア軍が虐殺の犠牲者を乱雑に放置するとは考えにくい話です。

そして撤退したブチャに虐殺をでっち上げられたというロシア側の物語に沿うならば、まさに嵌められたということになるのでしょう。

もちろんロシアの主張に沿うとするならば、という話ですが。

 

 

 

現に、バイデン政権は過去に二度、ウクライナ和平の契機を潰した(これも、米国に気兼ねしてメディアが報道しないため、あまりに無知な人が多い)。米国内への投資のためにウクライナを援助する以上、ウクライナ戦争を停止するわけにはゆかないのだ。なぜなら軍需産業の雇用が増え、バイデン再選へのプラス効果が出ているからである。再選のためなら、バイデン大統領は手段を選ばない。

第一の和平の契機は、2022年3月から4月であった。ウクライナとロシアとの第1回協議は2022年2月28日にベラルーシで行われ、第2回協議は3月29日にイスタンブールで行われた。ここで課題となったのは、

 

1.ウクライナの非同盟化、将来的に中立をどう保つのか

2.ウクライナの非軍事化、軍隊の縮小化

3.右派政治グループの排除という政治構造改革

4.ウクライナの国境問題とドンバスの取り扱い

である。

 

第2回会合の後、双方が交渉の進展について話し、特にウクライナは外部からの保証を条件に非同盟・非核の地位を確認することに合意した。たしかに和平に向けた話し合いが一歩進んだのである

 

 

しかし、2022年4月9日、ボリス・ジョンソン英首相(当時)がキーウを訪れ、ゼレンスキー大統領と会談、英首相はウクライナに対し、120台の装甲車と対艦システムという形での軍事援助と、世界銀行からの5億ドルの追加融資保証を約束し、「ともかく戦おう」と戦争継続を促した。

この情報は、ウクライナ側の代表を務めたウクライナ議会の「人民の奉仕者」派のダヴィド・アラハミヤ党首が、2023年11月になって「1+1TVチャンネル」のインタビューで明らかにしたものだ。もちろん、ジョンソンの背後にはバイデン大統領が控えており、米英はウクライナ戦争継続で利害が一致していた。

 

 

戦争継続を促したのはイギリスのジョンソン首相だったということですね。援助するからゼレンスキーに戦争を続行しろと。これは証言者のいる具体的な話で陰謀論ではありません。

そしてジョンソンの背後にはアメリカがいたことも事実でしょう。

 

 

ゼレンスキーはしばしば支援国にもケンカ腰で当然の権利のように支援を要求して、それが支援される立場の態度かと苦言を呈されるくらいですが、そのようにヤケクソに見える態度も、ひょっとしたらこの時自分が進めていた和平を潰されたことを根に持っているからかもしれません。

援助すると言ったのだからしろよ!くらいには思っていてもおかしくないですよね。

ウクライナ大統領選のときゼレンスキーはロシアとの融和を訴えて当選していますし、彼自身がロシアに近い東部の出身で、母語はロシア語、ウクライナ語はもともとうまく話せなかったそうです。

そのようにもとはロシアに親和的な人間が対立の方向に向かっていったのは、スポンサーの意向に逆らえない傀儡政権の悲哀なのかもしれません。

ゼレンスキー自身は能力は低いけれども英米の指導者のように邪悪であったかは別で、悪だとしてもせいぜい私腹を肥やす程度の小悪党でしょう。そう考えるといくらか同情的な見方もできるような気がします。

 

 

 

プーチン氏が交渉開始の条件としたのは〈1〉ロシアが一方的に併合したウクライナ東・南部4州からのウクライナ軍の完全撤退〈2〉ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟断念――だ。米欧による対露制裁の解除も条件として挙げた。

 露軍が占領しているウクライナ領土は、2014年に併合した南部クリミアを含めても18%程度で、占領下にない地域からのウクライナ軍撤退も求めている。

 

 

最近プーチン大統領から和平の条件提示がありましたが、見比べれば分かりますが開戦当初と比べて明らかに厳しくなっています。

領土も相当要求しているのは、ロシアも多くの血を流したので国内世論を納得させる必要があるからでしょう。

また、「ロシア軍は士気が低く兵器もポンコツで崩壊間近」とか「最新の西側兵器を供与された士気の高いウクライナ軍の勝利は近い」などと言った西側メディアの報道と裏腹に、実際の戦争はロシアに有利に進んでいるので、ウクライナ軍の足元を見て要求を厳しくしうる状況なのでしょう。

つくづく、傷の浅い開戦当初に和平していればと悔やまれます。

 

 

 

日本はウクライナと似たような立場にあると思います。

日本はウクライナを反面教師にして賢く立ち回れれば良いのですが、果たしてこの国にそれができるでしょうか。