2020年10月24日大阪梅田自殺巻き込まれ死亡事案に関して過去の文章を日付更新。

ハームリダクションという考えがあります。
ハームというのは害悪という意味です。
リダクションというのは引き下げるという意味です。




例えば覚醒剤が蔓延している国では感染症防ぐために安全な注射器を配ることがあります。

その方が社会全体ではまだマシだということです。

覚醒剤はよくありません。

 しかしながら現実に明日から覚せい剤をなくすことができません。

だから安全な注射器を配った方がまだマシなわけです。上記の話はヨーロッパでのことです。

現実を見据えてるということです。


以前俺はもう自殺したいんだと言って自暴自棄になって全く無関係の子供を殺した人がいます。

その時に「一人で死ね」と言った芸能人がいました。

貧困ビジネスに詳しい藤田孝典がずいぶん批判しました。
もちろんその根拠や論文も目を通しましたが

自殺するほどに困ってるを人を突き放してはいけない。社会全体で助けなければならないとのことです。



これは現実を見据えていないという意味で間違ってると思います。社会全体で助け合って一人も自殺者がない社会を作ることは不可能だからです。


教育学者というのは理想を追求する傾向があります。

それはなぜかと言うと教育によって話し合いでいろいろな問題を解決できないと教育学は成立しないからです。乱暴な言葉で言えば商売あがったりです。

しかし教育の力でいじめや自殺貧困問題格差社会の問題を全て話し合って解決できるのであれば警察も裁判所も必要ありません。学校の先生は捜査権を持ちません。

ざっくり言えば生徒が学校の片隅でタバコを吸ってるとします。 見つけた先生が注意したとしてもその場でタバコをどっか近くの用水路に放り込んで俺はタバコを吸ってないと言われれば手も足も出ないわけで
す。へたに人権弁護士に相談して教育委員会でもネジこまれたら先生の側が困ります。



家宅を捜査する事も無理矢理持ち物を検査することもできません。

暴力的ないじめや金銭を巻き上げられるようないじめは犯罪だから警察に捜査させるべきだとは学校の先生は言えないんです。

いじめで自殺するような重大な事案が起きた時に本当はいじめた側が一番悪いんですけれど未成年者ですからマスコミは取材できません。

ですから学校に取材に行って校長先生が謝罪するのです。

いつも知らなかったと言いますね。

どなたか勇気ある校長が知っていたけれども現在の学校教育制度では防ぐことは不可能である。 したがって原因は文部科学省にあると言って頂きたいんですが。

教育学者は教育には限界があるとは言えないんですね。

ある国語の先生がはっきり言いました。

どんなに一週間に2時間や3時間国語の授業を聞いても成績は上がりません。
要は家庭教育です。生まれた時から言葉を教え、毎日親と接してるんですから家庭に責任があるんです。

全くの正論です。

立場上あまり大きな声では言えないわけです。



一人で死ね、というのは自殺を奨励してるわけでありません。

明日から自殺が一人もいない社会を作ることは可能でしょうか。

それが一番なのかもしれませんが実現不可能でしょう。

それでしたら全く無関係の他人を何人も殺し、無関係の人間を巻き込んで自殺するよりはそちらの方がまだマシではないでしょうか?

タバコは有害です。

それでは明日からタバコを法律で禁止することは可能でしょうか?

不可能ですね。

地下で密売するだけのことです。

ということはきちんと喫煙コーナーを作ってそこでタバコすっていただくことは社会的に正しいわけです。

もう1度誤解のないように申しますけれどタバコは百害あって一利なしです。

 でもしかしながら、そこらじゅうで吸われるよりは喫煙コーナーでちゃんと吸っていただいた方がまだマシだということです。

人間の社会は様々な矛盾で出来上がっています。

理想だけを追求して全ての人間が平等で全ての人間が差別のない社会これは理想ですが今すぐ実現可能でしょうか。

できないことを認めた上でベストよりはベターを目指してるわけです。

人間が生きる上で100%の理想求めればかえっておかしいことになります。

東洋思想では無病息災に対して一病息災という言葉があります。

全く病気をしない一生よりはちょっと持病があったほうがかえって長生きができる。
健康な人生を送れるという意味です。


ほどほどに理想を求めるというのがバランス感覚を持って正しいわけです。

最近になって注目されている考えですけれども何のことはありません。

100年以上前 に早稲田大学の校歌に書いてあります。