大乗経典が創作された時に、なんとかアーガマ経を貶めてやりたいと考えた。だがブッダその人を貶めるわけにはいかない。そこで知恵第一の弟子を卑しめる方便を思いついた。

 

あんな、頭の良い弟子でも分からないような深遠・高邁な教えを、読んでいる私はなんて、頭が良いのであろうか、ブッダでも教えを説くのを躊躇した教えを受けている私は特別に選ばれたエリートなのだ。

 

自己を正当化するもっとも簡単で有効な方法は他人を貶めることであるからだ。

 

このように自己陶酔させるわけである。

 

TVのクイズ番組で、難関大学を出た高学歴芸人が、わざと間違えて答えるのをみて喜んでいる視聴者と同じ心理なのである。

 

なお、法華経の十如是というのはクマラージーバが勝手に付け加えたものであることは、現在では分かっているから人間ブッダの教えではない。