世の中に仏典学者ほど頭の良い人はいないのではないかと感じさせられるくらい仏典研究というのは大変な学問だ。漢文や古文・サンスクリット・パーリーはもちろん英語・ドイツ語に精通した上、さらにはチベット語・タイ語・韓国語などの知識が必要だ。

 

ウメー語というのをご存知であろうか?中央アジアで既に失われた言語だが仏典が見つかっているらしい。大谷大学でウメー語を研究している方がおられた。ここまでくると仏典研究には一体、いくつの言語を身につけなければならないかと気が遠くなる。

 

もともとブッダは一切の著書も残していない。弟子がそばで直接書き写したものもない。仏陀の死後、何年もたって(時間については諸説あり)弟子が集まって伝聞推定で記録したものがアジアに伝言ゲームのように広まった。やがて大乗仏教運動が起こると仏典の形式をまねた文学作品がうまれた。

 

これらがごった煮となって現在伝わっている。それに2000年程度の変遷が加わっている。断片的なものやサンスクリットでかかれたもとの仏典が失われて漢訳しか残っていないものもあるから、一層複雑だ。

 

誠に仏典研究というのは「東京ドームでジクソー・パズルをする」ような作業だ。

もっともそのピースが欠けていたり、関係ないピースが入っていたりするのだが。

 

デカルトについて論文を書く際には、一次資料に当たり正確な引用を期さなければならない。もし引用した言葉が実はデカルトの言葉でなければ、研究者として命取りだ。

 

だが、仏典ははじめから伝聞で成り立っている。日本の学僧が中国へ留学したした時に中国の偉い学者も後に「仏典を真似て作られた文学作品」をそれと見破ることはできていなかった。

 

仏典研究という長い歴史を振り出しに戻して、もう一度やり直すということは不可能になってしまった。幸い近年になって日本の学者が仏教の歴史を見直して初期のおそらくブッダの直接の言葉とおもわれる仏典を平易な日本語に訳し始めた。

 

例えば中村元・先生訳のスッパニパータやダンマパダを読んでみると煩瑣な教理や難解な哲学はない。

 

もともとブッダの教えには難解な解釈や哲学的な高尚な理論や倫理学的な議論を必要とする部分はは無かったのである。

 

 

おそらくブッダの教えは平易で誰にでも分かる日常の人間が生きてゆくうえでの真理をといたものであろう。

 

ブッダは2500年まえのインドの一般大衆に救いの道をといたのであるから、間違っても大学院で何年も研究しないと理解できないような教えであろうはずがない。