ユダヤ教・キリスト教・イスラームはセム語族の一神教と呼ばれ。同じ神を崇拝している。アッラーというのはアラビア語で神という意味だ。この神はタナファー(旧約聖書)では固有の名前ヤーフェをもっている。ただしヘブライ語の母音標記の問題のため正確な発音が再現できない。現在の一般的な日本語の聖書では神と訳されているが、例えば岩波文庫の創世記の訳や新世界訳の聖書を読めばヤーフェと書かれているので、かなり印象が違ってくる。
キリスト教徒がアラビア語でお祈りをすれば
われらのアッラーなるイエス・キリスト
と呼びかけることになる。クルアーンにもイエスは出てくる。キリストではなく預言者の一人としてである。
また、この3つの宗教は契約の宗教と呼ばれる。契約といっても話し合いで決めるものでなく、神の命令である。一神教での神は1、宇宙の創造者でありこの世の全てを支配する。2、それゆえ全知全能である。
ムスリムが豚を食べてはいけないのは神の命令であって、人間は一切関与していない。
だから理由は「神が決めたことだから」という以外には一切ない。それが宗教というものだ。
ムハンマドの戯画をかいた新聞とムスリムの対立がどうしても解決できないのはこれが理由だ。恐れ多いからではない。表現の自由とか報道の自由というのは近年に成立した概念であって人間が作ったものだ。神の命令を変えられるのは神だけだ。キリスト教で三位一体でならなければならないのはここに必然がある。
遊牧民族であるユダヤ人に神はカナンの地を与えた。この時代にアメリカ大陸の無人の土地を与えられても移動する手段がない。ツィオニズムのときに「土地なき民に、民なき土地を」といって現在のイスラエルの場所以外への建国を主張した人もいた。却下されたのは神の命令を変更できないからだ。
時代が変わると変化する政治や科学に宗教がからむと必ず齟齬が生じる。
同じ「戒律」といっても仏教の場合は初期の教団の内部で話し合って人間が決めたものだ。いわばサークル活動の内部の決まりのようなものだ、ブッダは酒を飲むなといった。なぜか?おそらく当時酒を飲んで和合を乱すものがいたからであろう。
2500年前の酒と現在の酒が同じものかとの疑問も残る。
ブッダ自身が、
私が死んだ後は、話し合って決まりを変えても良い。
といっている。