いわゆる脱サラをして、学習塾をつくりました。もちろん、人にやとわれてやっているわけではありません。自営業ですから労働基準法も適用されません。法定休日もありません。自分の生活がかかっていると思えば、本当に手も抜けないわけであって、朝から晩まで、死に物狂いで働きました。その時はまだ若かったからよかったのですけれども、大体それを3年ほど、休みなく働いたところで、私はとうとう、過労で倒れてしまいました。ちょっと疲れたかな、と思って椅子に座ったら、周りの景色がぐるぐる回って、椅子から立てなくなってしまいました。

 

 お恥ずかしいことに、救急車で運ばれて、病院に入院して、点滴を受けていました。その時に、病院のベッドの上の天井を見て、今まで何年も、本当に、徹夜の仕事をして作り上げた個人塾も、これでおしまいかと思ったわけです。


 

次の日、同業者の組合に所属している、あるご年配の塾経営者の先生がお見舞いに来てくださいました。その先生は相当な苦労人で、いろいろな体験をされ、甘いも酸いもかみ分けた人でした。その方が開口一番来て言うには、

 

君はいい時に倒れたねえ


 

 

私は、人が過労で入院しているのになんてひどいことを言う人だと思いました。ところが、よく話を聞いてみると、それは、その人ならではのアドバイスだったわけです。その人がおっしゃるには、こういうことなのです。

「君はまだ、30いくつで倒れたからよかったんだよ。個人零細塾経営者で倒れた人はいくらでもいるんだ。たとえば、Aさんとか、Bさんとか、知り合いのあの人も過労で倒れたことがある、あの人も過労で倒れたことがある」と。

自慢するようなことではありませんから、本当かなと思って、後にその知人らに聞いてみたところ、若いころ一度は過労で倒れたことがあるという人は多かった。

 

そういうことであるならば、同じ、過労で倒れて入院するのなら、若いときのほうがいい。というのは、ある程度、個人塾が発展すると、人を雇ったり、校舎も増やしていろんな事務所を借りたり、宣伝や広告の仕事も多くなります。そんな時に、2日や3日でも入院して社長がいなくなり、それが銀行の取引だとか決算だとかに重なれば、そのまま会社が倒産して、本当にホームレスになってしまう可能性もあります。ところがまだ若いうちに倒れたのであれば、若いから回復も早いし、それを契機に仕事を見直す良いきっかけにもなる、と。

 

そんなアドバイスをいただきました。


 

そうすると、私のストレスは、あっという間にとれたわけです。

 

ちょうど仕事を見直す、いいきっかけになったというわけです。


 

それまでは、自分が過労で倒れるなどとは信じていなかったのですけれども、そのアドバイスをいただいて以降は、まずマニュアルを作って、自分が倒れた時、入院したとき、死亡したときに、どうすればいいかということを考えて、緊急連絡先やいろいろな対応をいたしました。塾の授業料も後払いにしましたから、もし倒れても、返金する必要はありません。塾を知るものは塾。親友の塾と相互に支援体制の契約を結びました。何かあった時に、保護者連絡の配布物・緊急支援体制をお願いしました。もちろん向こうが何かあった時にはこちらが支援するということです。お互いに講師を派遣したりという契約です。結果的に一度も利用していませんが、気持ちのゆとりはずいぶん違いました。

 

それから、何年かしてのことです。知り合いの個人塾塾経営者が急死されました。まだ40前だというのにくも膜なんとかで、あっというまでした。もちろん塾は閉鎖されました。月初めでしたから月謝はすでに受け取っていたそうです。通夜や葬式の最中に月謝を返してくれとの電話がたくさん掛かってきて奥様は大変だったそうです。

 

それまでは、倒れるまで頑張ると言っていたのですけれども、いったん倒れるともはやそういうことは言えなくなるわけで、何事にも自重し、いろんなことに気を付けてやりながら、仕事を調整しました。

 

今から思えば、それから数十年間、細々と会社が続いているのは、あの時に私が倒れたお蔭だと思えば、よかったと、大いに納得ができるわけです。