センター試験に英検等の民間試験を導入することについて考えています。
読む力・話す力・聞く力といったコミニケーション能力を客観的に試験で測定することが可能でしょうか?
英語と言うのはツールですから状況に応じて必要なコミニケーション能力は異なるわけです。
学会で発表するコミニケーション能力と商社で働くコミニケーション能力は違うわけですね。
英語と言うのはツールですから状況に応じて必要なコミニケーション能力は異なるわけです。
学会で発表するコミニケーション能力と商社で働くコミニケーション能力は違うわけですね。
次に英検の公平性が担保されているのでしょう。英検を受けた場合に過去の経験ですが身分証明書のチェックはありませんでした。なりすまし受験が可能だと判断しました。
また、地方では英検の面接委員が知り合いであるとか受験会場が学習塾であることも珍しくないようです。
これが1番大きな理由ですが、言葉と言うのは常に日常的に使っていないとうまく使えないのです、例えばドイツに行くと初日はうまくドイツ語で会話ができないのです。2日3日としていくうちにだんだん日本語からドイツ語に頭が切り替わってくるようなのです。
そうすれば、都会の受験生が圧倒的に有利になります。
大阪や東京に行って最初にびっくりしたのは駅前にここまであるのかという位、英会話学校があるのです。電車の中で英字新聞を読んでいる方。英語でのアナウンス。こういったものは珍しくありません。都会には社内の公用語は英語であるという企業もあるようですが岡山では不可能です。
ところが日本には地方においてはまだ携帯電話さえつながらない場所があります。そういったところでは英語に普段から接することが不可能な受験生もいます。
センター試験では英語ではなく外国語の試験の件です。英語ですらそうなのですからましてやフランス語やドイツ語はなおさらのことです。
民間試験をうけにいくのに船に乗っていかなくてもすむ都会の発想だと思うわけです。バスが一日に数本しかない地域では大変な負担になります。
(話は変わりますが、岡山市内でサンスクリットを学習できる場所があるかということを大谷大学のインド哲学の教授におききしたことがあります。答えは無いと言うことです。岡山市内でもそうなのですから、郡部や島嶼地域に行けば外国語に日ごろから接すると言う事はほとんどできません。)
センター試験に民間資格を活用するという考え方は都会目線の発想だと思うわけです。何度でも受けられるわけですから、回数を受けたもの勝ちになってしまいます
ところが日本には地方においてはまだ携帯電話さえつながらない場所があります。そういったところでは英語に普段から接することが不可能な受験生もいます。
センター試験では英語ではなく外国語の試験の件です。英語ですらそうなのですからましてやフランス語やドイツ語はなおさらのことです。
民間試験をうけにいくのに船に乗っていかなくてもすむ都会の発想だと思うわけです。バスが一日に数本しかない地域では大変な負担になります。
(話は変わりますが、岡山市内でサンスクリットを学習できる場所があるかということを大谷大学のインド哲学の教授におききしたことがあります。答えは無いと言うことです。岡山市内でもそうなのですから、郡部や島嶼地域に行けば外国語に日ごろから接すると言う事はほとんどできません。)
センター試験に民間資格を活用するという考え方は都会目線の発想だと思うわけです。何度でも受けられるわけですから、回数を受けたもの勝ちになってしまいます