文化相対主義と言うのは人間が作り出した文化に優劣はないと言う考え方です。とりあえずその場面や社会的な状況において単に優劣があるように見えるだけのことです。もともと人間そのものには肌の色が違っていても外見が多少異なっていても優劣はありません。

社会が決めているのですね。
当たり前の事ですね。白い犬と黒い犬ではどちらが優れた犬なのでしょう。しっぽの長い猫としっぽの短い猫ではどちらが優れた猫なのでしょう。

ユダヤ人が優秀であると言われるのも、迫害の歴史においてもともとの国家を失ったからです。国家の後ろ盾を失った場合には教育に力を入れるしかないからです。

 

教育を身に付ければ難民となっても住んでいる国を追い出されても何とか生きていけるからなのですね。よく言われることですが、国が滅びれば、あるいは民族が迫害されればお金は何の役にも立ちません。不動産も国追われれば持って逃げるわけにはいけないのです。

インドの数学やIT技術が優れていると言って、インド式の数学と言うドリルをさせられている子供が日本でもいるようです。

これを文化相対主義の立場から説明してみましょう。答えは簡単です。カースト制を超えるからです。古代のインドに始まったカースト制は職業と結びついています。その職業にIT技術者があるはずがありませんね。だから結果としてインドではIT技術者の人材が育つ訳です。

このようにもともと人間には優劣があるはずがありません。韓国でノーベル賞の理系の受賞者がいないのも優劣ではありません。朝鮮戦争により研究に専念できなかった世代があり、今でも男子には徴兵制があるからです。

このことを説明する言葉として「アマゾンのモーツアルト」と言う言葉があります。モーツアルトがどんなに天才だと言ってもアマゾンのジャングルの中に生まれていたら今のような素晴らしい音楽を作り出す事はできなかったであろう。と言う考えを説明している言葉だと思います。