お断り:一音楽ファンの雑記です。

 

 

 

なぜ、編集したのか?という質問の回答。もともとフルトベングラーがライブで燃えるというのは死後にできた考え。自分が演奏しているものを同時に聞けるはずがない。生きている時代にライブ録音は有難がらないわけであった。相撲はライブに限るという人はいないし、甲子園でのプロ野球試合の編集のないDVDを、直後に阪神ファンに売っても売れないのと一緒。富士山の見えるところで富士山は生で見るほうが良いですか?と聞くようなもの。

 

私もバイロイトで生を聞いたら、そのCDもDVDも買う気がしない。

 

フルトベングラーは作曲もしているから指揮者としての録音には関心がなかった。ショルティのリングもクナがやりたがらなかったからだ。例外はカラヤン。ルツェルンで聞いたらCDと変わらなかった。近くに武満徹がいた。ただ、カラヤンが同じ曲を何度も録音したのはLP用の録音がCDにできるということを知らなかったからのようだ。(レコード芸術による)

 

もともと、演奏家というのは自分の録音にはあまり関心がない。

 

ドイツやフランスやイタリアのように日常的に、昔から音楽ホールやオペラハウスのある国では自国産のオーディオ機器はほとんど売っていないでしょ。日独伊の3国同盟システムを構築したいのだがイタリア製のCDプレイヤーがむつかしくて。

 

昔から、大作曲家の生まれた国ではオーディオの名器がないといわれている。

 

 

別物だから。クレンペラーに至っては自分の指揮したレコードを自宅に持っていなかったから。プロデューサーのメンデルスゾーン(フェリックスの子孫)と自分のベートベン解釈のレコードと議論になったから。レコード店に買いに行って「わしのレコードをくれ」。「誰のレコードですか。」(わしがクレンペラーじゃ)という押し問答。からかわれたと思った店主が皮肉で「ほう、では、じゃあ、お連れの方はべートベンですか?」ときかれたから「馬鹿者メンデルスゾーンじゃ」といったという逸話が残っている。

 

この話は事実だと体験上思う。初めてドイツに行ったとき、クナの学位論文(博士)を(卒業論文と書いてあるのは間違い)探しに生家を訪ねてエルバーフェルトに行っても、観光案内でも誰もクナのことを知らない。ここならと思ってレコード店のクラシック売り場の店員に聞いてもクナの名前自体知らなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

 

*私はミンヒェン・ハンス・クナッパーツブシュ協会会員(もっとも誰でも入れるのだが・・・)

 

 

編集するのが当たり前だからというのは当時、複数のレコーダーで録音していたからだ。特にフルトベングラーのスカラ座のリングが出てきたときにステレオ録音だったということの説明。

半分正しく半分間違っている。当時の技術では、リングを一台の録音機で録音できないから複数のマイクで録音機を複数使ってつなぐしかなかった。複数のマイクがあるからステレオとも言えなくもない。

 

バイロイトの第九の録音担当はワルター・レッグです。録音プロデュサーという仕事があった以上、一台の録音機で、無編集の録音ができない証拠。ベートベンのシンフォニー全集を作りたかった。

 

できたのはだいぶのちに8番が発掘されてから。

 

*ネットで「平林氏が2種類のテープを入手して、」というのも誤情報。届いたのはCD-R。

*また、放送録音というのは放送されたラジヲを録音したものではなく放送局に残っているものである。バイエルン放送協会に残っているもののがスットクホルムの放送局に送られて、そのあとで編集されているわけです。少なくともバイエルン放送協会から直接送られてきたものがすでに編集されているものだった以上、まったく無編集の録音が残ってするとレッグが介入できないスットクホルムにあると考えるのが自然である。

・バイロイト音楽祭が戦後ステレオ録音が残っているのが出ないのも上記の誤解による。祝祭劇場にはマイクを設置する場所はない。上からつるしているのは見たことがある。当然リヒャルトがマイクの置く場所を作るはずがない。当時マイクがないからだ。というより電気が取っていない。冷房があるはずもない。ただし、戦争でかなり破壊されているから相当改築されている。