大変、優れたノンフィクションで、多くの方に読んで頂きたい。だから、詳しい内容は書かない。ざっとした梗概:

戦前、アインシュタインが来日して大歓迎を受けたときのこと。




 

日本への船旅の際に、体調を崩してしまった。当時のことだから、遠い異国への旅ということで、精神的な不安もあったようだ。ところが高名な医学者である三宅速(はやり)(九州帝国大学初代外科部長等歴任)がドイツから帰国のため乗り合わせていた。適切な治療をうけ、回復したアインシュタインは三宅速に感謝し、二人は強い友情で結ばれる。

 

その後、ナチスの迫害からアメリカに逃れたアインシュタインと三宅速は、立場上、敵味方に分かれることになる。三宅速は、本土空襲が激化するに従い、息子の三宅博岡山医大(現:岡山大学医学部)第一外科教授のもとに疎開した。

 

そして、岡山空襲で命を落とす。

 

後に、マンハッタン計画にも関係したとされるアインシュタインは、三宅速夫妻がアメリカの空爆により亡くなったとの訃報に接し、激しい嗚咽をもらした。


(直接ではないが)命の恩人を殺害することに協力してしまった!



イスラエルの初代大統領にも推されていた(同書による)アインシュタインは、マンハッタン計画に躊躇しながらも


「あの男にだけは原爆を渡すわけにはいかなかった」


(あの男と言うのはアドルフ・ヒトラーのことである。)


と苦しい胸の内を明かしたという。

さらに、話は九州(帝国)大学の、生体解剖へと続く。

 


アインシュタインの言葉が今も徳島県美馬市に残っている。 故人を偲んでお墓に刻む言葉を墓碑銘 と言います。



詳しくは徳島県美馬市のhpをご覧下さい。


アインシュタインから送られた墓碑銘:

 

Hier ruhen Dr.Hayari Myake

und dessen Frau Miho Myake.
Sie wirkten vereint fur
das Wohl der Menschen
und schieden vereint als Opfer
von deren Verirrungen.

 

Albert Einstein

 

*以下日本語への拙訳

「ここに安らかにお眠りください。三宅速博士とその妻、みほ夫人。博士は全人類のために献身され、と同時に、全人類の愚かさのために亡くなった。」

 

アルバート・アインシュタイン

 

http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/shiru/0028.html

(出身の徳島県美馬市HP)


 

アインシュタインからの墓碑銘


 筆者は三宅博長女。

尚、当時すぐ近くで、最初のおとり爆撃

 

(2種類の焼夷弾が使われた。最初は家屋を燃やすもの。次にいったん空襲をやめて,北に去った。安心して出てきたところをまいもどって。直接、人にかかる焼夷弾。最後に国宝岡山城をピンポイント空爆したとされる。東山のお寺に逃げた母が目撃)

 

をみて岡山空襲から逃げ延びた(→だから、私が生まれている)老母に読んでもらうと、庭の造詣や蔵の様子から、今の・・・・に家があったとのこと。 現在の岡山市の弓之町であるが、今は、別の人の家が建っているので書かない。



 岡山空襲

アインシュタインからの墓碑銘

アインシュタインからの墓碑銘

アインシュタインからの墓碑銘