さすがにパレスチナは遠かった。パレスナ自治区というが、元から住んでいる人はそうは思っていないので自治区(AUTHORITY)というと、誰からAUTHORIZEされたのか?てことになる。その話はクリスマス休戦として後で。
とりあえずドーハで乗り継いでアンマンまで、ここまで来たらペトラ遺跡。陸路でイスラエル。さらに国境というよりは分離壁を超えて、ベツレヘム。パレスチナ自治区。
厳戒中。この先は命の保証ができないとイスラエル側に書いてある。お前が原因だろうと心の中で叫ぶ。
レストランにジョン・ポール・ローマ教皇と謁見している男性の写真が・・・それに向こうには隠してあるがアラファト議長。(パレスチナ側から見るとパレスチナ国初代大統領。) 確認を取ってみると確かにローマ教皇はここに来た記録がある。
いったいこの人誰?とレストランのオーナーに聞いてみたら、
「そりゃあ、(若いころの)わしじゃ」ということで記念写真。
ということでやっときました、生誕記念教会。



