行政が学力テストを行うと一部の有識者から猛烈な批判を浴びる。ましてや、学校や地域別の成績を公開すると無茶苦茶な批判を浴びる。
その論拠は:
・学力だけが教育ではない
・学力テストの成績で教師や学校にプレッシャーを与えてはいけない
・子供がかわいそうである
・学校にレッテルを張られることは差別である
などなどである。「学力テスト」という言葉のイメージの先行。
中学受験の難問を必死で小学生がいやいや、深夜まで苦労して、対策しているのイメージ?
実際に問題を見てください。基礎的な義務教育で習う範囲の到達を調べる試験。
算数でいえば、簡単な分数の計算や比例の基本問題です。だから、学力テストの数値は白紙答案を防ぐかで決まる。数字の向上は、九九のできない児童をどうするかである。
中学受験の盛んでない県ほど学力テストの成績が良いというのも当たり前です。ひたすら、基本的な教科書レベルの計算を反復練習させる方が県全体の平均点は向上します。
要するに成績とか偏差値というのは物差しをかえれば、いくらでも解釈が変わる。難関中学受験レベルの問題を全国でやれば都会の方が上位になると考えられる。灘中学の入試レベルの問題を全小学生に「学力テスト」として実施すれば、大量の白紙答案と一部の、都会での8割以上の答案用紙が集まるだけ。中学受験がありえないような農村地域ならば、平均点はゼロになるであろう。
評論家の皆さんは実際の教育現場や試験問題を見て言っているのかな。一部の中学校では。分数の計算ができない生徒がいることは事実である。それは本人の罪でも何でもないが、多額の税金をかけて、日本の将来のためにいいのかという全体のシステムの問題。
だからね。ある自治体で、極めて基礎的な学力のテストをしたら、・・・小学校と近くの・・・小学校で、はっきりと違いが出たら。首長が「おかしいよね、なんでだろう。」といって改革を唱えるのは間違いではない。
もう一度:自治体が行っている学力テストは極めて基本的な「読み書きそろばん」のレベルであり。これを、中学受験の難問と同一視してはならない。最低限、日本にうまれた人々に対する義務・権利を税金で行っているのである。