中学受験塾で教えていると、中学受験をしない塾の生徒に比べて、やたら質問が多い。`
ところが、長年教えていると、ある事に気が付く。
それは
1.知識や結果だけを質問してくる生徒
2.原理・原則を質問してくる生徒
に分かれる。
具体例1.「分数の割り算は要するにひっくり返してかければ正解になると覚えればいいんですね?」と「どうして分数の割り算はひっくり返してかければ答えが出るのですか?」
具体例2:オイラーの多面体定理。
1、の生徒はオイラーって何人ですか?
と質問してくる。
2.の生徒は、どうして成り立つのですか?
と質問してくる。知識欲は入試に必須のことだが、問題は知識の中身である。
1.の質問ばかりする生徒は、「入試で燃え尽きる」タイプだ。
なぜならば、知識に関しては、辞書や数学の本ですぐに調べられることであり、どこの教科書にも書いてあることをなぜ質問するのか?自分で調べればわかることを質問するな!
有害無益な「センターラインの公式」(過去記事参照)を教える塾講師は怖くないのか?
私は怖い。
「どうして成り立つのか?」と質問されたら答えられるのか?
怖くない理由は「自分で考えられない生徒を育てる授業」をしているのであろう。
リーマン和としての積分と収束条件については、すでにこのブログで述べている。
だから、私は一度も取り上げたことはない。質問自体は悪くないので歓迎だが授業の組み立てが狂う。ある小学校で質問されたことがある。関西の塾で公式だけ習ってきたとのこと。だから、その授業の講義予定をすべて変更して解説した。あーっ、スカッとした。
この小学校の良いところは、大人の事情により、他の先生が常に「研修」のため教室内にいるので、保護者から「わけのわからない授業」と言われても、校長が説明してくれること。
パップス・ギョルダンを使う生徒には困る。一般の図形の重心の定義が不可能だから。しょうがないから、証明を書いて、(勉強が進んだら参考にせよという趣旨で)次週渡した。
リーマン和としての積分と収束条件について理解している講師は教えないであろう。これは憶測でいう必要もない。塾任せ・塾に丸投げにしていない保護者なら、自分の子供が塾で「センター・ラインの公式」を習って来たら「子供の学習内容が理解できないので、なぜ、成り立つのか教えてほしい」と質問すれば単に結果だけを教えているのかはわかる。なぜ、保護者はそうしないのか?
「自分で考えられない生徒を育てる授業」をしている塾は「自分で考えられない保護者」を育てているのであろう。
見分け方の例:保護者面談で模試の返却の際に順位と偏差値だけ見る保護者か、子供がどこがまちがっているか、答案用紙の方を先に見る保護者か?
子供に接する際に、単に成績が悪い・勉強しなさいと叱る保護者か?もっと辞書をひきなさいとか、(図形問題で)問題用紙の図形に直接補助線を引くなと具体的に叱る保護者か?
昔の話。広島の塾に非常勤で週一回教えに行ったら、とても算数指導に熱心な講師がいた。隣で聞いていても、感心した。
オイラーの多面体公式について、オイラーの時代には現在のスイスとかドイツという国は成立していなかったので何人と教えるべきか?穴の開いているような多面体(膨らめせると、ドーナツ型になる立体)については、、、、という議論を算数科の主任と・・・
だから、経営者に「素晴らしい講師がおられるのですね。」と申し上げたら、。。
あの方は、保護者ですよ。と聞いて腰を抜かした。下世話な質問をしてしまった。「生徒の成績は?」
叱られた。「塾での課題を全部解いて、わからないことは必ず質問にくる親の姿を見れば、子供はほっといても猛勉強するに決まっていますよ。勉強しろ!なんて一言も言わない保護者ですよ。飛び級をさせているのにトップですよ、うちの塾始まって以来の天才児ですよ。」
私の意見
*この保護者はこの塾の宝である。こういった保護者がおられ、塾から敬意を持って迎えられいる間は他の塾には絶対に負けない。講師は生徒に鍛えられ、保護者によってだめにされる。
*授業が怖いというのは、常に未完成だからである。常に自己研鑽をすれば、いつまでたっても
終わりがない。「教師自ら学ばざれば、教える資格なし」というのは本当に恐ろしい言葉である。
医系小論文を教えているともっと、自信をもって教えたくなって、大学院に入った。一層、自信がなくなった。