★いかなる意味でもナチスのホロコースト・人種差別・ユダヤ人の大量虐殺を肯定するものではありません。
優生学(eugenics)というのはインチキ学問であって、学問ではありません。優性思想とか、優性術と言います。でも「インチキ学問としての優生学(スード・サイエンス・アズ・ユージェニックス」ほうがわかりやすいかな。
なぜインチキかは明らか。人間を品種改良できないから。
人間には優劣はないから。
http://ameblo.jp/ubqubq/entry-11580185730.html
日本では源平合戦があって平家が滅亡したと言われていますが、日本のすごいところは、平家の末裔は今でもいらっしゃるし、織田信長や明智光秀の子孫もいらっしゃいますが、今殺・し合いをすることはありません。ところが、海外では数千年前の古文書の内容で殺・しあっているのです。
ここでも源氏は「平家が劣った人種だから、根絶やしにしよう」と思ったわけではありません。
同じように日本文化では、徹底的に殺し・あうということは、ないわけです。
例えば、比叡山を織田信長が焼き討ちしたと言われていますが、だからと言って比叡山が織田信長の子孫に復讐をしていませんね。
これはヨーロッパの歴史・文化ではなく、「政治体制」の問題です。ヒトラーでもスターリンでも、自分に逆らった人物を殺・したが、その家族までは一方的に殺・していません。もちろん、難癖をつけて無茶苦茶をしたようですが。
(例外は北・朝・鮮の連座制です。海外のdvdを見ているだけで、どこかに連れて行かれるのです。家の電気を止めるそうです。そうするとDVDが取り出せません。その際、家族だけでなく。お隣のお家も「なんで、密告しなかった」と言って、どこかに連れて行かれるそうです。)
今でも比叡山は有名な観光地・仏教の歴史的遺産として残っています。
西郷隆盛は逆賊(ここでは大久保利通に逆らったという意味と思ってください)しかしその弟の西郷従道は兄隆盛の死後もなお新政府でも重用されましたし(陸軍出身でありながら海軍大臣も歴任しています)、西郷隆盛の銅像は今も上野に立っています。
一部の外国では、この銅像の前で、毎日、抗議集会が行われ、日本政府に賠償責任を払えいう訴訟がおきているかも。
犬を散歩させている銅像など海外で見た記憶がありません。
同様な例は
*弘文天皇(壬申の乱で負けても皇統譜にのっている。勝ったからと言って、死者を墓から掘り出して鞭打つなどという文化(?)とかもう死んでいるのに四・肢を切断して、さらし者にするという恥刑は日本にはありません。日本のさらし首というのは、写真の無い時代に冤罪を防ぐため。肌の色の違う殺・し合いでは必要ない)や
今話題の真田家。兄が徳川方。
すごいなと思うのは、榎本武揚は幕臣として新政府に逆らった人間ですが、その後、明治新政府にも重用されました。彼は大日本帝国憲法の発布時に、逓信大臣として名を連ねています。
南北朝でもそうですね。
南北朝の争いの恨みから、今も日本国内で殺・し合いをしていますか?
これは日本のすごい文化だと思います。
元に戻って、優生学というのは、アドルフ・ヒトラーの専売特許のように思われていますが、それは違います。
それはイギリスではじまったインチキ学問で、ヒトラーが悪用したのです。
歴史的にはヒトラーを、アメリカの自動車王であるフォードが財政支援をした事実もあります。
ここで重要なことは、ナチスは優生学というインチキ学問をうまく利用したことです。
ナチスドイツのもっとも重大なスローガンは「反共産主義」で、当時現実にロシア革命がおこり、多くの資本家や宗教家は、これを非常に恐れていたわけです。
ロシア革命で、ロマノフ王朝の皇帝とその家族は皆殺しにされました(日本ではそこまでの例はまず見られませんね。あまりにも遺・体の損壊が激しいので大津事件の時の血・痕からDNA鑑定を・・・)
少なくとも日本で何かのいさかいがあった時に、その息子や娘まで徹底的に殺したということは聞いておりません。
さて、ナチスドイツの本質は、優生学にあるではなく、でたらめなプロパガンダとはいえ、うまく優生学と反共産主義をうまく結び付けてユダヤ人を組織的に虐殺するという卑劣な手段をとったことです。
この時、ナチスは古代インドでアーリア人が覇権を取ったのは「アーリア人が優秀だから」と強弁し、古代インドの吉祥のマークである卍(スワチカ)をアーリア人の優秀性のシンボルとしてしまったのです。スワチカというのは、単に「お幸せに」というマークで、般若心経の結語の、
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。」
*漢字の意味はありません。「がてー・がてー・ぱーらがてー・ぱらそー・がてー・ぼでぃー・スバーハ」
スバーハにも関係する言葉です。どっかで裏返ってしまったのです・
カッコ内の私訳:古代インドではGOの過去形は,洪水から、「激流を乗り切った者」との意味(たとえ)でしょうがさておき。
「人生の苦しみを味わった方、人生の苦しみを味わった方々。もう、苦しみは過ぎ去りました。安楽な人生を!」
*ここで幸福とは絶対に訳したくない。大規模なテロを起こしても「本人が神の意志だ。これで天国で永遠に神のもとで幸福に暮らせると考える一部の過激思想を信じる犯・罪者がいるからだ。
このインチキなる優生学が出てきた背景は何なのでしょうか。
さて、
決して新しい医学的技術や生殖技術が開発されたわけではありません。
大衆を操作し、ユダヤ人の虐殺という歴史的な犯罪を合理化するためにこじつけたわけです。
もう一度、重要なことを言います。
優生思想や優生学というインチキ学問は、新しい医学的技術ができたために出たわけではありません。
ところが、多くの医療倫理学者は、問題点を指摘するだけで、解決策は何も言わないわけです。
テレビのコメンテーターと一緒で、問題点の指摘は簡単です。
しかし、問題点はないとか解決策を提示することは難しい。
一例をとりますと、新型出生前診断が実用化されたときに、多くの倫理学者は、これはアドルフ・ヒトラーの優生学につながる考え方と批判しました。
しかしながら、科学技術そのものの進歩には、よいも悪いもありません。
スマホが進歩したからと言って、スマホを使わなければいけないというわけではないのと一緒です。
新型出生前診断ができたことはあくまでも、新しい医療に関わるオプションができたというだけのことで、これを優生思想に結び付けることはナンセンスです。
そもそもヒトラーが利用したインチキ学問である優生学は、政治的情勢で出てきたわけで、決して、新しい科学技術のために生まれたわけではありません。
これは大谷大学大学院で生命倫理学を研究した時、どうしても解決できない問題であるから中退をしたわけです。
その問題を指摘することは簡単ですが、解決策は誰も言えないわけです。
そしてその問題点は、人間の尊厳を犯すとか、神の領域に触れるという論文を読んだ時、その根拠となっているのは、受精卵に魂があるかという、こういった問題があるのです。
この場合に、多くの倫理学者は問題点を指摘して幅広い議論とコンセンサスが必要だ、慎重な検討をするべきだと必ず言うわけですね。
しかしそのもとになっている様々な論文を読んでみると、そこに魂とか神が出てくると、これはどんなに議論しても解決不可能なわけです。
つまり、受精卵は人間としての尊厳を持つのか、あるいは霊魂を持つのか、もし、霊魂と肉体が別々に存在して、霊魂は天国に行く、だから肉体はその入れ物に過ぎないという考えであれば、臓器移植というのは、あくまでも霊魂が人間の本質なので、肉体というのは単にその入れ物であり、入れ物の一部である臓器を摘出することは問題ないという意見もありました。
一方、天国で自分の肉体がよみがえると考えている宗教においては、火葬を大変忌み嫌います。魂だけ戻っても、この世の中で入れ物がなければ困るという考えだそうです。
ですからはっきり言いますが、生命倫理学において、批判するのは誰でもできるが、合意を得ることは不可能である。
なぜなら、魂と身体に、神がどうお考えか?と言った時、これは何百年議論して解決する問題でもなく、国民全体のコンセンサスを話し合いで解決することも不可能です。
最近の中東の問題においても、もともとの宗教の対立においては、もう2000年や3000年以上前(イスラームが誕生したのはもう少し時間が遅く1600年前程度ですから、ユダヤとイスラームの2000年の対立という表現自体が間違っているというのは、放送大学の高橋和夫先生がおっしゃっています。ただし、その前の様々な思想の背景をみれば、そのように言ってもよいかと思われます)から発生していると言っても過言ではありません。
もう一度申しますと、優生学というインチキ学問は、科学技術の進歩で生じたものではなく、政治や共産主義との対立に巧妙にヒトラーが利用して有名になったわけです。
だから、話し合って解決とか、幅広い議論をもとに・・・というのは、テレビのコメンテーターのような倫理学者の意見は無責任な発言だと思います。
なぜなら、解決策を一切提示していないからです。
といった以上、私の解決策を言います。
科学の進歩は、不可逆。科学をさらに進めることが問題解決。
