日本の入試制度においては、どんなにでたらめや嘘を書いても、それで配点以上に減点されることはありません。白紙で出すぐらいならば≪聖徳太子は鎌倉幕府の将軍である≫とか≪坂本龍馬は源氏物語を書いた人だ≫とマークした方が得なのです。そして。どんな嘘を書いても責任を取らされることはありません。
学習塾の講師をしていますから、中1の新入生を見ておりますと、例えば、算数・数学で、≪次の角度を求めよ≫といった場合に、中学受験経験者とそうでない生徒というのは、すぐにわかるわけです。
中学受験の経験者は、わからない場合、その解答欄に30度とか45度とか、適当な数字を書き込みます。その方が得なのです。
一方、岡山大学教育学部附属小学校から中学への内部進学生は、わからないところは白紙にして出すという傾向があります。
今の受験体制では、どんなにでたらめを書いても配点以上に減点をされることがないわけですから、書いたもの勝ちということになります。
偏差値秀才や偏差値エリート官僚というのは「わからない」「自分には判断ができない」という解答は試験ではありえないのです。
危険な教育論として、一つ申し上げます。
例えばここでは、センター試験を例にとってみましょう。
センター試験は、わからないからということでマークせずに出せば、その問題の点数は0です。しかしながら、どの番号でもいいから適当にマークをして出せば、4分の1の確率で、正答の可能性=点数が取れる可能性があります。
これはある意味、「判断のできないことを無理でも判断させる」という勉強になっているのではないでしょうか。
センター試験の採点を、次のように改革したらどうでしょうか。
■正解の場合=現行通り、その問題に割振された得点を与える
■白紙(無回答)の場合=得点を与えない(0点)
■間違った解答(*)をマークした場合=大幅減点する
(*)例えば現在の入試制度では「徳川家康は平安朝の開祖である、とか、夏目漱石はロシア人であるとの選択肢にマークしても0点である、白紙答案と同じ点数である)
こうすれば、判断できないこと、でたらめを書いた方が、とりあえず合格可能性が増すということを防げるのではないでしょうか。
もしこの方式を導入したら、
■自分が責任をもって回答できる問題を解答し、わからない問題についてわからないと解答したならば、でたらめやわからないことをマークするよりも、優秀な判断力のある生徒の方が高得点を得られることになる。
とすれば、「私にはこの問題を処理する能力がない」という極めて重要な判断をした生徒が、とにかく点をとれればいいやということで、でたらめに確信もなくマークする生徒を凌駕し、合格することもあるのではないでしょうか。
ある問題について、判断力がないことを判断するのが最大の判断力である。