池上彰先生がラマダン月で毎年、変わるんだよね、と言っていたが本当なのでしょうか。嘘です!

 

東欧に行ったときにクリスマスは12月25日ではないことに気がついた。

 

 

十字架でもすべて同じ形ではない。さらには新世界訳の聖書では十字架そのものを否定している。


なお 新世界の聖書というのはエホバの証人が持っている 聖書です。 私は信者では一切ありませんがイスラエルに行った時にユダヤ教の影響が強いと言われて進められて参考に読んでいます。



 

 

自分の慣れている暦法から、他の文化を判断すること自体偏見。だから移動祝日というおかしげな言葉ができる。

 

 

 

≫移動祝日(いどうしゅくじつ)とは年によって日付が変動する祝日
ことである。移動祝祭日(いどうしゅくさいじつ)とも呼ぶ。

 

 

(wikiより。→いいえ、一切変動していません!)
 

 

 

また、多くのイスーラム圏への日本語観光ガイドブックにも書いてある。とんでもない文化偏見である

 

 

 

 

 

 

 

イスラームの宗教行事であるアーシュラやダルビシュ(野球選手のダルビシュ有とは、もちろん関係があります。)は年によって移動するそうである。

 



 

 

ダルビシュ有選手とイランの関係については、Iranian diaspora で英語検索のこと。よくもまあ。日本のマスコミは「日本は政治難民を受け入れていない」などという嘘を平気で言うもんだ。

 

 

 

 

西洋の暦法からみただけ。AH(ヒジュラ歴)を採用していないから、そう見えるだけ。暦法が違うから、勝手に決めつけているだけである。

 

 

(アーシュラ: عاشوراء‎ 池上彰先生の紹介したテレビ番組と違って「米国に死を!」などというプラカードはありませんね)。

 


本来、静かに内面を見つめて、自己の弱さ・悪とい、克服・努力する機会で、これをイスラームでは聖戦(ジハード)と言います。


 

日本の皇室の宮中祭祀も、もともとは旧暦(西洋の暦法と新嘗祭とどっちが古いのかしら?)で行われていたわけであって、移動していたわけではない。

 


それに島国である日本は、太古の昔から漁業をしていたわけで、貝塚からも、貝殻や、魚の骨が出てくる。

 

漁業を重視する民族において満潮・干潮といった月の引力に支配される太陰歴を採用していたのは、合理的な理由があるわけです。(←この文の主語を述べよ)

 

一方で砂漠の遊牧民族には、海の満ち引きには関心が薄かったであろう。

 

だから、偏見というのは;


 

・あなたの誕生日って毎年変わるの?

 

・この大学の創立記念日って毎年変わるの?

 

というくらい、ひょんな話しだ。

 

欧米中心の見方(ここでは暦法)だけをグローバル化というのは、最も国際人ではないということに気がついて頂きたい。