待ち時間の長い病院があります。最大の認知の歪は、自分が来ている事が待ち時間を長くしている一つの要素であるということに気がつかないことです。
確かに病院の待ち時間はどれだけか予測のつかない場合(なぜに予測がつかないのでしょうか?理由がある筈です)が多いですが、いくら出発時刻が決まっているとはいえ、新幹線にも飛行機にも、待ち時間はあるわけです。
先般、病院に定例の検診で行きましたら、「大変お待たせいたしました」と、担当医がおっしゃいました。
それでは、まったく待ち時間のないだけでなく、何時好きな時に行っても、自由に診察してくれる、そんな病院をつくることは可能でしょうか?
患者の側から見れば、少なくともその症状の改善のために通院している病院は、一つしかありません。主治医なり担当医も、一人しかいない。
一方で病院側から見れば、多くの患者を診察し、それぞれの患者に対し、的確な治療をする必要があります。
それは主治医なり担当医についても同じことです。
病院は自分のためだけにあるのではない、ということを考えれば、患者の側が病院の都合に合わせるべきであって、その逆をといわれても、不可能です。
これは、新幹線の始発電車が、仕事に間に合わないからと言って、JRにダイアを変えてくれというほどの無理難題なのです。
この前も定期健診で次の予約を何時するか?この時間でもよろしいですか?と受付で聞かれましたので、必要ならタクシーできますから・・・と申し上げました。
だって、わたしは自宅からタクシーで病院に行けますが・・。病院はタクシーで私の家に来れませんものね!
もしそれが可能だと仮定すれば、自分専用の病院を自宅の前に作らなければなりません。
それこそ、数百億単位の金がかかるでしょう。
これが、one of them という考え方です。
このone of them ということがわからない、一方通行的なものの見方は世の中には多いのではないでしょうか。
社会が個人化していくにしたがって、共通の現象ではないかと思われます。
たとえば、図書館に「**という雑誌を置いてほしい」という要望を出す人がいますが、図書館から見れば、何千人もの利用者の中のわずか一人や二人の意見を聞いて、それにいちいち対応していては、運営が不可能になります。
不可能でないまでも、莫大な手間と人手と予算がかかります。
小学校の運動会に、なぜタクシーで学校に行ってはいけないのかということが理解できない保護者もいます。
確かに、保護者側から見れば、ひとりの子供が通っている小学校は一つしかない。
しかし小学校側から見れば、6学年で数百人、場合によっては1000人以上もいる、多くの児童の保護者の中の、そのまた一人なのです。
6学年で1000人の児童のいる小学校の運動会には、保護者をふくめて1000人を超える人が、同じ小学校に来ることになります。
もしその来場者全員がタクシーで来るとすれば、その地域のタクシーはすべて出払うことになり、駅前や校門前は大混乱に陥ることでしょう。
もちろん全員でなくても、一人一人が、私一人ぐらいならいいやと思ってタクシーで来校されたら、困ったことになりかねません。
学校側としては、そのような事態を未然に防ぐためにも、一切のタクシーでの来校を断らなければならないのです。
自分がたまたまタクシーで行った、それに何の問題があるのか、と思われるのは、one of them の考えができていないからです。
小学生の指定の靴下は、なぜ白いのでしょうか?
これは、保護者が児童の靴下をきちんと洗濯しているか、子供の面倒を見ているかを、教師が目視して確認するためです。
保護者のなかには、うちは白い靴下は嫌だから履かせたくないという人がいます。
靴下のことに限らず、自分一人の都合や、まして趣向などを理由に、全体のシステムを曲げるわけにはいかないことがわからない保護者は、存外いるものです。
学校で教えた経験のある方ならばわかると思いますが、その保護者が気配りできる人かどうかというのは、電話一本でわかります。
自分の行っている小学校はひとつしかないからということで、佐藤ですとか、鈴木ですと名乗って代表電話にかけられる保護者がいます。
しかし、佐藤さんや鈴木さんという児童は、他にもいる可能性は十分あります。
しかも学校にかかってくる電話は、何も保護者からだけとは限りません。
コピー点検の業者、工事の打合せ、水道の点検、教育委員会からの連絡、OB・OGからの連絡、学区内の中学校からの連絡・・・こういったさまざまな電話が、学校の代表電話番号にかかってくるわけですが、その中に、佐藤さんや鈴木さんという方がいないとも限りません。
ですから最低限、5年生の佐藤の保護者ですと、最初に最低限名乗っていただかなければ、教育委員会の佐藤さんかもしれないし、コピー業者の佐藤さんかもかもしれないし・・・わかりませんよね。
もっと言えば、5年*組の**先生担任のクラスの佐藤**の保護者ですと名乗っていただければ、少なくとも、その時点で担任の先生の名前がわかっているということで、不審電話ではない可能性が高いということもわかるわけです。
中高一貫校に子どもを通わせている保護者が学校に対して、「1年の宮原とか鈴木の保護者です」と名乗るのも、自分の視線でしか考えられていないとしか言いようがありません。
宮原とか鈴木という名字の生徒は、その学年には他にいないと考えているのか。しかもそれだけでは、生徒の所属学年が中1なのか高1なのかさえわからない。
最後に、もう一度まとめます。
世の中はすべて、one of them で成り立っています。塾も、同じことです。
自分の子供一人のために教えてほしいというのであれば、その塾を買い取るべきです。
それは当然、数千万円程度のお金ですむ話ではありません。
一部の保護者はPTAや学校側があらかじめ近くのスーパーに挨拶に行ってプラカードをもって、注意したりしている事実を知らないのでしょう。だから、適当に近くのスーパーの駐車場に止めればよいと考えて車で行ったら、学校関係者がいて、慌てて、引き返す馬鹿がいるのですね。狭い岡山。すぐに、誰々ちゃんのパパが運転していた・・・って子供の間でも話題になるかも。