() 以下は、ある小学校で卒業生にお話した内容です。

 


 

 

卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。

 

先ほどから、来賓(らいひん)の市議会議員の方や、校長先生が、あなた方に対して敬語を使っているということに、お気づきでしょうか。

校長先生が、卒業生とか、おめでとうございます、と言っておられますね。

 

校長先生が「身分の卑しいもの」であって卒業生が「身分の尊(たっと)いもの」

 

このことは、日本語における敬語法は、単に身分の上下の関係を表すことではないという見本です。


 

 

ところで、卒業式はなぜ、おめでたいのでしょうか。

 

入学式は新しい出会いがあり、新しい生活があり、新しい友達ができる場であります。

一方卒業式は、別れの場であります。

 

わたくしも、大学の卒業式で、卒業式の後、みんなで肩を組んで、校歌を歌い、記念撮影をして、その後、数十年ぶりに。連絡があったのは、ある同級生の訃報(ふほう:死んだというお知らせ)だった、ということがありました。

 

ですから、ひょっとすると、この卒業式が、小学校でともに学んだ友人との、最後の出会いとなる可能性もあるわけです。

 

 

それでは、なぜ卒業式がおめでたいのでしょうか。一つの考えを述べたいと思います。


 

あなたがたの多くは、今、12歳だと思います。

これは、満年齢で表示したものであります。

 

一方、日本には、数え年という大変すばらしい伝統があります。

これは、生まれた瞬間を1歳と考えて、それから正月を迎えるたびに(旧正月)、1歳を加えていくというものです。

だから年賀状というのは、本来、Happy Birthday という意味であります。


 

さて、昔の人は、なぜ生まれた時を1歳と考えたのでしょうか。

 

これはわたくしの想像ですが、おなかの中で初めて命を授かったときを0歳として、それから、おかあさんのおなかの中にいた期間を、約1年と考えたからではないでしょうか。

 

双子のうちで先に、お母さんのおなかから出てきた方が次男・次女と考えたのも。昔は後から出てきた方が先に命を授かった考えたからのようです。


 

 

それでは、ここで一つクイズです。

 

あなたがたは、いままで12年間生きてきて、さまざまなプレゼントをご両親からいただいていますね。

たとえば、覚えていないかもしれないでしょうが、赤ん坊の時に熱を出して、どれだけ看病をしてくれたか。

あるいは、今着ているもの、持っているもの、すべて、鉛筆の1本から服の靴下の一側に至るまでが、御両親からのプレゼントなのです。

 

そういった、有形・無形のプレゼントの中で、もっとも大切なプレゼントは何でありましょうか?

有形というのは、目に見えるという意味ですから、あなたがたが今身に着けている時計や服とか鞄とか、こういったものをいいます。

 

しかし、

「本当に大切なものは、目に見えないものである」

と言った人がいますように、ここまで育てていただいたこと自体が、形のないプレゼントではないでしょうか。


 

そういった様々なプレゼントの中で、もっとも大切なプレゼントは何でしょうか。

 

 

それはもちろん、「」というプレゼントであります。

これはとても不思議なプレゼントですね。

 

よく「ほど大切なものはない」と言われます。

しかし、「」は大切なものだからということで、銀行に預けておくとか、金庫に入れておくとか、そういうことはできません。

また、この命のプレゼントいうのは、あなたがたのおとうさん・おかあさんからしか、いただけないプレゼントであるのです。

もし別の方からいただいたのであれば、たしかにあなたの命には違いないけれども、それはあなたの命ではありません。宇宙の初めから、未来永劫に向かって、あなたという命は、一人であり、一回限りなのであります。

とっても不思議なプレゼントですね。


 

 

たとえば今、ここに、蚊が飛んでいるとします。

邪魔だからと言って蚊をパンと両手でたたいて、つぶす。

その蚊は、死にます

このことは、よくある体験ですね。

 

さてそれでは、このつぶれた蚊をもとの命に戻すことは可能でしょうか?

断言しますが、世界中の名医が集まって、国家予算的規模のお金を投入しても不可能であります。

 

ですから、命というプレゼントは、ある意味、人生そのものなのです。

 

 

あなたがたが、これから生きていく中で、

 

 

勉強すること、失敗すること、成功すること、出会うこと、分かれること、苦しいこと、つらいこと、うれしいこと、喜ぶこと、泣くこと・・・、不満をいうこと、憤ること、笑うこと、楽しむこと、病気になること、愛すること、争うこと、憎むこと・・・生きること。これらすべてのプレゼントの始まりなわけです。

ですから、宇宙そのもの・人生そのもののプレゼントと言っています。


 

 

あなたがたが星を眺める。おいしいものを食べる・・・・・。

 

考えてみれば、そういったことはすべて、御両親が命をくださったからこそできるのであって、根本的にはあなたがたが生きていることすべてが、御両親からのプレゼントなわけです。


 


 

それでは、命というプレゼントに対する「お返し」は、どうすればよいのでしょうか。

 

モノであれば、たとえば、知り合いからお菓子をいただいたので、お返しに果物をさし上げる。それは可能でしょう。こういうものを「お返し」と言います。


 

ところで、命というプレゼントに対するご両親への「お返し」には、何をもってすればいいのでしょうか。

 

それは、あなたがた自身が大きくなり、立派な大人になり、成長することをもって、「お返し」とするしかないのではないでしょうか。


 

 

しかし、どんな人間が立派な人間なのかは、わたくしにはわかりません。

 

そこで、たとえ話を申し上げましょう。


 

どんなに大きな木も、最初は一粒の種だったわけです。

これと同じように、あなたがたが頂いた命は、おかあさんのおなかの中の、ほんの小さな、小さな命でした。

それがやがて大きな木として育ち、そして大木として育つ。

そのことが、御両親に対する最大の「お返し」なのではないでしょうか。


 

 

ただ、そうは言っても、幼稚園児がいきなり大人になることはできませんし、そうなられては、さすがにみんな困ります。

 

だから、1歳の人間は2歳になり、2歳の人間は3歳になり、3歳の人間は4歳になり・・・・・その途中の過程で、小学生が中学生になる、という大事な機会を迎えるにあたって、そのことをご両親に感謝する機会というのが、この、卒業式という場所なのです。


 

 

だから、卒業式はおめでたいのだと、わたくしは思うのです。