2015年
学習塾が劣化した理由は、一言でいえば需要と供給のバランスが崩れてしまい、本来保護者の理不尽な苦情に対して厳しく教育的指導をすべき立場の学習塾が、保護者に迎合するようになったからだと考えます。
生徒の劣化、保護者の劣化、学習塾の劣化。
この3つが、お互いにマイナスの相乗効果として成立しているわけです。
さて昨今、スーパーマーケットや県立図書館、あるいはスーパー銭湯のような施設には、お客様の声とか、利用者の声というコーナーを設け、そこに客から投書された意見を張り出しているところがあります。
それらを読んでいますと、中にはとんでもない言いがかりとしか思えないようなものもあります。
本当にくだらないと思います。
病院がこういうことをしだす時代になったあかつきには、日本の医療はおしまいでしょう。
外科の先生の態度が悪いとか駐車場が不便だとか、待ち時間が長いとか。。。
それを病院長がいちいち謝罪して張り出していたら、。。。
ある病院に、ペイシェント・アドボカシー科というのがありましたが、しばらくするとそれはなくなっていました。アドボカシーという言葉を、何でも自分の好きな意見や苦情を受け付けるところだと思っている人が多かったので、その科を廃止したのだと思われます。
ではここで、いくつかの具体例をあげます。
なお、太字部分は事例、かっこ内は私の分析です。
1.大型スーパーでの苦情例・その1
自分の小さな子供が試食品に手を出したら、あわてて店員が手を払った。
お客様に恥をかかせるとはとんでもないスーパーだ。
(この客は自分が間違っていることを理解していない。
食品アレルギーの問題があるから、子供に試食させる場合には必ず親に渡してお子様にいかがですか?としないと店の責任問題になる。)
2.大型スーパーでの苦情例・その2
**アイスが置いていない。今まで置いていたのにどういうことだ。
(大きなスーパーでは1日に1万人ぐらいのお客が来ます。
そのお客ひとりひとりの好みの品ぞろえに合わせることはそもそも不可能です。
あなた一人のためにこのスーパーがあるわけではありません。
さて、スーパーにおいては、品ぞろえ・在庫管理は生命線です。
なぜなら、どんなに駅に近く便利で、どんなに商品が安くても、売れないものを並べておれば、そのスーパーはつぶれます。
例えば、冬に、明日の気温を調べて鍋物が売れると予想して、おでんのスープや素を大幅に値引きするかわりに、近くに並べてある野菜や具材はいつもより高い。(その際に店内の暖房温度を下げればもっと売れる)
おでんのスープだけを買って野菜や具は買わない客はいないからです。
このように、スーパーでは気温、天気、曜日、さらには日曜表を調べた上で売れ筋を並べる。在庫管理・商品の店頭陳列というのは、経営者や管理者の腕の見せ所なのです。
さらに、在庫管理というのは、税金との戦いにおいて非常に重要なことになるわけです。
高級ファッションブランドで在庫は燃やしてしまうということはご存知でしょうか?
売れ残った商品は燃やして処分して、その証明書を発行する会社があります。
そうしないと、税金が大変なことになるからです。
3.大型スーパーでの苦情例・その3
スーパーの前に置いてある自転車の空気入れが使いにくい。
(なんで、スーパーの前に無料で空気入れが置いてあるのか考えてください。)
このことは、人間は「ただでも文句を言う」という重要な真理を示している。
長年の経験から、授業料が高いという苦情は授業料に無関係に一定の割合なのです)
3.スーパー銭湯での苦情例
ロッカーが異常に細い、狭い。荷物を入れるのが不便だ。
(サウナ、温浴施設、スーパー銭湯などで、荷物を入れるロッカーが非常に小さかったり狭かったりするのは、子供がロッカーの中にふざけて入りこんて、閉じ込められたりする状況を発生させないようにするためです。)
4.県立図書館で苦情例・その1
駐車場を無料にしてほしい。
(図書館は本来、無料の貸本屋ではありませんし、無料駐車場でもありません。
もし、岡山市の市街地内、それも北区丸の内の県庁前で商店街のすぐ近くにある県立図書館の駐車場を無料にしたらどうなるかは、すぐわかるでしょう。)
5.県立図書館で苦情例・その2
探していた本が見つからない場合は、駐車場を無料にしてほしい。
これは少し、先ほどの苦情よりは、一見、レベルが上がっていますね。筋が通っているように見えるだけかえってたちが悪いですね
*伊藤博文の名言:「学のある馬鹿ほど恐ろしいものはない」(七博士意見書を読んだ時にこう言ったと伝えられる)
おそらく、ある本を探しに来たけれどもなかった。しょうがないから帰った。なぜお目当ての本がなかったのに駐車場代を払う必要があるのかという苦情だと思われます。
しかしこれまた、自己中心的なものの考えです。
「探していた本が見つからなかった」という状態をいかに定義するのでしょうか?
例えば、「イブン・ハルドゥーンのアラビア語の原書を探しにきたけれど~」とか、「グーテンベルクの聖書を探しに来たが~」、さらには「心が安らぐ本を探しに来たけど~」などと言えば駐車場代が無料になるのでしょうか。
探していた本が見つからなかったということは、定義が不可能です。
さてこういったことは、本来なら、図書館側が注意すべきだと思うのです。
「図書館は、納税者の皆様の税金で、かつ図書館法に従い運営されておりますので、個々の利用者のわがままな要求は一切受け付けません」
と書いて、張り出せばいいのではないでしょうか。
という提案を、図書館の利用者の声という箱に入れようかなと思いました。
しかしそれでは自家撞着(じかどうちゃく)になってしまいますので、やめました。
さて、学習塾の話に戻ります。
岡山というところは、学習塾の激戦地であります。
ただし、低レベルの激戦地として、全国的に有名なのです。
1年間、岡山の学習塾の新聞チラシを取っておいて、東京にいる私の友人の有名塾経営者に送付したところ、大いに呆れられて、
「スーパーの特売のチラシみたいですね、」と聞かれました。
さて、そのチラシの中で、その有名塾の先生がびっくりされたところを紹介いたします。
それは、ある岡山の大手塾が「保護者様からのお叱りの声」というところで、
「クーラーが効きすぎて寒い。塾の責任だ」
というところで、回答として、
「大変申し訳ありません。・・・云々」
と述べているところです。
およそ飛行機内、会議室内、大学の教室など、個々人に合わせて冷暖房を調節できないところは、いくらでもあります。
ですから、私なら、このように答えます。
「あなたのお子様が一人だけ授業を受けているわけではありません。どんなに調整しても、全員がぴったりの体感温度にすることは不可能です。中には快適だとか、まだ暑いという生徒もいるでしょう。そういう苦情を塾に申し立てている親の姿を、子供は見ています。そうすると、子供が例えば高校に進学したときに、私は寒いので暖房をつけてください、と、学校でいうのでしょうか。あるいは大学に行って、ゼミの教室で、暑いのでクーラーをつけてくれというのでしょうか」
本来体感温度というのは人により様々ですから、体温調整のできる服装で来るのが当たり前です。例えば、カーディガンを持参するとか、ひざ掛けをもってくるとか。
そのように塾が保護者に指導すべきものです。
ところが塾の経営が苦しくなると、保護者に迎合してそれが言えない。逆キレして子供を辞めさせてしまう。
一番の問題は、小学校の段階でそういったことを認めてしまうと、それを学習して中学の塾や高校の塾に来ることになります。
ですから、高校生対象の塾で苦情を申し立てる保護者は、小学校の時に通っていた塾の犠牲者であると考えるのです。嫌ならさっさと辞めればよいのであって、自分の子供の都合に合わせて、他の生徒に影響を及ぼすことを要求するというのが理不尽なクレーマーの定義です。