■UBQに6年間学んで
     

 岡山朝日高等学校卒 S君



   
以下、肩書き・所属等は原稿執筆時のものです

「受験というものが世の中の極めて片隅の競争であることを忘れてはならない。」この言葉は私が東京大学理科Ⅲ類に入学した際の入学式での佐々木東京大学総長のものです。私にはこの言葉が実感を持って伝わってきます。入試というものは極めていびつな競争です。そのいびつ性は第一にその競争の過程で精神的な成長を伴うことが必ずしも必要とされていないこと。第二に本人の強い使命感を必要としないことです。


私は受験を通して強く感じそして憂えていました。そして現実に東京大学の学生になってから学生を見るにつけてそうした志が低く且つレベルの低い学生が多くいることに愕然とさせられます。(もちろん志の高い学生の割合は日本では高いほうであると思いますが・・・)彼らは学ぶことの意味を深く考え、自らの学びの姿勢を内省することなく、巨大な受験産業の歯車にはめ込まれ、受験に合格するということのみを演じるピエロとなっているからにほかなら無いと思われるのです。


しかし受験においては実はこの方が楽なのです。猛烈な使命感とか学ぶことについて深く考えるということは受験といういびつな競争の中では役に立ちません。もちろん大学で先生方と話をしていると先生方がこのことを非常に危惧されていますが、残念ながら日本の学歴社会が学生の成長過程ではなく出身校のみに意味を置くことがまだ主流である限りピエロとなりたい人間は多く存在するでしょう。


しかしUBQにはこうしたつまらないものを全く必要としないものがあるということを強調しこの文章をはじめさせていただきたいと思います。


 私は6年間UBQに通いました。風邪を引いて熱を出した日も休まず通いました。今もUBQというのは「学び」を語る上では「故郷」とも呼べる存在です。そこで行われる授業はひとつのことを考えつくすことの楽しさを与えてくださり、常に本質は何かということを大事にする姿勢を大切に常に本質を私たちに伝えてくださるのです。


「哲学」という言葉がphilosophy(知を愛する)という意味であるとすればまさしくUBQはかつてのギリシアのそれのように哲学の教場であるといえると思います。また一般の教育産業とは異なり、私たちに文化(文化はcultureの訳語で教養という言葉と本来同義です)を垣間見せてくれます。いったいどこにカンディンスキーの絵が飾ってあり、モーツァルトやバッハを聞かせてくれる教場があるでしょうか?


わたしはこうしたUBQの姿勢がたまらなく好きでした。たとえばモーツァルトの交響曲40番の第一楽章ほど英文の構成に似ているものはないと思うのです。バッハを聞けば数学的帰納法に思いをはせることができます。しかしUBQは小難しい難解な塾ではありません。(世間ではそういわれているようですが、それは中一から入塾していないからです)


本当に初歩から教えて頂きました。アルファベットの読み書きを習い、辞書の引き方を習い、不規則活用の練習をし、因数分解を練習し、ルートの意味を習い、そうして学んできました。むしろ普通以上に基礎をしっかりさせてそして飛躍することなく頂点を目指すという姿勢が貫かれていました。その結果、確かに中学一年生にして東大入試の問題を解くということが起こったりしますが決して背伸びというわけではなかったと思います。


 そんな私も昨年の夏UBQに里帰りをしました。UBQ夏期講習の非常勤講師を務めたのです。UBQ在学中も東京大学理Ⅲの先輩、京都大学数学科の先輩などのOB講師に非常に刺激をうけ、憧れ、今があります。


 卒業生講師のお一人は東京大学大学院博士課程に移られ、この間キャンパスでTA(大学の先生の補助をする制度)をされている姿を見かけ、懐かしいお話をし、今度ご飯でも、ということになりました。理Ⅲの先輩は現在立派な医師になられており、母同士が今も繋がりを持たせていただいております(長山先生のお引き合わせ)。こうした繋がりはUBQの力であり、まだ中高校生だったころOB同士の会話のレベルの高さを思い知り、いつかは仲間に入りたいと思っていました。


 今、私があるのは間違いなく長山先生のお導きがあってこそなのです。その長山先生が受験の前に必ずされるお話。それは「感謝の気持ちで受験しなさい」ということです。その言葉には支えてくださった周りの人への感謝にとどまらず、今自分が受験をすることができる境遇にあるということの全てに感謝せよと言う教えです。つまるところ有名校に合格すると言うのはそのチャンスを与えてもらったからに過ぎません。


自分が他の人より優秀であるから何をやっても良いと考える難関大学の学生が多い中、「感謝の気持ち」を大切にこれからもこの幸運を社会の為に還元すべく頑張らなくてはなりません。「東大理Ⅲ~天才からの云々」と言うつまらない題名の書物がありますが、そのような商業主義に踊らされること無く、受験と言うものを捉えていっていただきたいと思います。



 最後になりましたが、長山先生にお礼を申し上げると同時に岡大附属中学校、岡山県立岡山朝日高等学校の先生方にもお礼を申し上げたいと思います。


特に朝日高校の先生には、元来がり勉タイプというよりは、部活や生徒会活動などの課外活動ばかりに力を入れてしまいがちな私を時には声を荒げて叱って下さいました、その優しさに感謝しております、勉強で悩んでいるときも本当に親身になって相談して下さいました、その厳しさに感謝しております。この場を借りてお礼申し上げたいと思います。(東京大学理科Ⅲ類進学)



■UBQに6年間学んで     

 岡山白陵中学・高等学校卒   A君
                  
 UBQをはじめて訪れたのは中一の春。それは刺激を求めて、という言葉が一番ピッタリとくるかもしれません。

中学入試を終え、ほっと一息つく頃、算数が数学へと変わり、最初の計算練習の山に辟易していたころのことでした。

もともと算数が大の苦手でかなりの算数アレルギーを持っていた自分にとって、数学は出来ない→やらないの悪循環に陥りかけていた科目。そんなときにUBQで受けた数学の授業は今までの公式・計算に囚われた自分の算数・数学へのイメージを一変させるほど新鮮で強烈なものでした。

「数学は考える、英語は調べる。それで99パーセントの問題は解決する」とは長山先生の言で、中学の初めの段階でこのように深く思考する習慣が身についたのは大きな財産だったと思います。長山先生には毎週毎週、簡単には解けないが、それでいて不可能でもない絶妙なレベルの問題を提示していただき、当時の僕は丸一週間ずっと、うんうん唸りながら考えて次の授業までにはなんとか自分なりの答えをみつけてUBQに行くということを繰り返していました。今までの知識ではどうにも解けないなぁと感じることもときにあり、そういうときには新しく必要な知識を本を読んで自分で調べて問題にとりかかるということもしました。(そして大抵の場合、それは長山先生に周到に計画された新しい単元の導入でもあったのです。笑)

そうこうしていくうちに自然と数学嫌いも治り、だんだんと数学に対して得意意識を感じるようになっていきました。豚もおだてりゃ…ではありませんが、毎週UBQに行くたびに何らかの刺激を与えられ、いつのまにやら数学の世界にどっぷりと浸るようになっていったのを覚えています。

ただし僕は受験数学に関しては「思考力」さえ磨けば上手くいくものとは思っていません。受験数学には発想力と腕力の両輪が必要です。腕力は日々の絶え間ない努力で培われるものあり、それを伸ばしてくれたのは他でもない学校の授業でした。UBQが骨格をつくり、学校が肉付けをしてくれたと言えるかもしれません。ただし、誤解しないでいただきたいのは実は発想力も努力次第でどうにでもなるという点です。発想力はセンスが大半だと考えられがちですが、実は先天的な才能でもなんでもなく、今までに考えた量の総和とでも言うべきものであり、あとから身につけることのできるものです。「センスは持って生まれるものではなく身につけるもの」と言えるかもしれません。

ある科目を好きになり、その世界にどっぷりと浸ることで「努力が努力でなくなる」状態、これは理想です。たとえば古典の先生は古典の世界観を熟知しておられ、その背景知識から生み出される解答には並みの受験生は対抗する術もありません。受験生としては全ての科目で同じことをすることができれば確実に「無敵」なのですが、人生における時間の制約によりそれは至難の業です。僕にとってUBQは「数学を好きにさせてくれた」場であり、そのような科目がたったの一科目ですが存在していたことは非常に幸運だったと思います。

ある科目を好きになって「勉強を勉強でなくす」ことが理想ではありますが、実際のところ受験というものは努力の如何によって決まります。受験で身につけるべきは「努力できる能力」であり、Giftとして与えられた「特定の才能」はその分野にしか使えません。しかし、「努力できる」という能力は大学入試という狭い世界での出来事が終わったあとにでも残りますし、将来どの分野に進もうがずっと使うことができる能力だと思います。

大学受験とは「その人が人生の一時期にどれだけ努力できたのか」という一種の性格を試すものであると思います。そういう意味でまずは学校の授業を大切にし、正道な努力をきちんとしつつも、なにかひとつの科目ではそれに深く浸り、学問として身につけるというのがUBQ的な合格への近道であると僕は考えます。

最後になりましたが、6年間最初から最後まで僕を見守り、深い教養とともに絶妙なアドバイスで合格へと導いてくださった長山先生に、深く御礼申し上げたいと思います。(東京大学理科Ⅲ類進学)

UBQで教わったこと      

 岡山大学付属中学校・灘高校卒 N君

私がUBQに入った時は、まだ受験も知らず口先だけであった。しかし、しばらくここで習ううちに勉強の楽しさがわかってきた。つまり勉強=遊びの感覚でできた。最初は苦しくてもそこを克服すれば必ず楽しくなった。英語の超読解をした時は、苦しかった。僕はいつも笑っているがこの時は心の中で苦しんだ。だが、もがいているうちに光が差し込んできた。タマゴの殻を割って生まれてくるときはこんな気分だろうと思った。長山先生がかぶせられたカラを割るたびに力がついた。気がついたときは最初とだいぶ違っていた。もし間違った大きさや形のタマゴのカラをかぶせられたら私はつぶれていただろう。そこをちゃんとしてくれた長山先生がいたからこそここまでこられた。長山先生が受験というものを超えて、本当の勉強の指導をしてくださったことを心から感謝したい。(東京大学理科Ⅲ類進学)

*灘高校には岡山から通っていたため高校時点でもUBQに在籍。