2015年


現在のように学習塾が全国に広まったのは、一般に1970年代から80年代にかけてと言われています。


もちろんそれ以前から、日進とか、島本さん、家庭教師、昔で言う寺子屋あるいは退職をした学校の先生が個人的に教えるといった形の塾はあったわけですが、少なくとも全国展開をするような学習塾が成立して、いわゆる学習塾ブームといわれるものが起こった時期は、一般には1970年代から80年代と考えます。


このころ、いわゆる「塾ブーム」というのが起こり、まだ塾に通っていないこのことを「未『塾』児」など、さまざまな表現がされていました。

このころは、学習塾に通塾する生徒が少なかったわけです。


つまり、現在の学習塾経営の最大の問題は少子化と思われている方もいらっしゃるでしょうが、問題はむしろ、通塾率の飽和にあると思われます。


当時は通塾率が非常に低かったため、新規に塾を開講した場合に、いい塾は「あの塾に行くと成績が上がった」ということで、新たに、それまで塾に行っていなかった生徒が通うという現象が起こっていたわけです。


その頃の学習塾というのは、「よい授業」を心掛けておればよかったわけです。設備とか、通塾の便を考えず、「よい授業」を目指しておけばよかったわけですから、当時の広告には、代表者の氏名だとか、どのような先生が教えているということがかかれていたわけです。


ところが、現在塾の広告やHPを見ていると、入塾希望者がどんな経歴のどの先生に習うのかといったことがあまり書いていないように思われます。



夏期講習とか冬期講習とかいうのは、以前からからほとんど赤字(採算の取れないもの)であったわけです。


というのは、夏期講習になれば時間は2倍、3倍と増えているものの、授業料はそのように増えないからです。


そのため、外部から非常勤講師を呼ぶ、あるいは専任講師がフル回転するということを繰り返していました。



ではなぜ、採算もとれないのに講習をしたか。


それは、今まで塾に通っていなかった生徒が、とりあえず講習に出てみよう、成績が上がった・・きっかけで、9月から新たな生徒が入塾し、トータルでプラスになったからです。


当時は学習塾に通っている生徒自体が少なかったわけですから、塾に通っている生徒とそうでない生徒の間で、成績を上げるということを目標にしておりました。



よく、塾に通っても成績が上がらないことが言われていますが、当時と違って現在は、ほとんどの生徒が塾に通っています。



また、実際に調べてみるとお分かりかと思いますが、いわゆる全国に展開している大手塾は、おおむね1970年代から80年代に設立されています。


その時設立した先生が、もう世代交代の時代になっているので、現在学習塾においてM&A、提携、吸収合併といったことが起こっているわけです。



さて、最大の問題は何かというと、通塾率が飽和した状態で学習塾が利益を上げるには、もはや、他塾の生徒を奪い合うしかないという、まことに困った現象が生じたことです。


通塾率が低かった時代には、「よい授業」をすれば今まで塾に行ったことのない生徒が新たに入塾して生徒が集まったのですが、すでにほとんどの小中高生が塾に通っている状態においては、塾を吟味検討して選ぶ方が少なくなってきたのです。




たとえば、携帯電話の普及期には、新たに携帯電話を持つ人を増やして利益を上げていました。

ところが、今やだれでも携帯電話を持っている時代になったので、そのビジネスモデルは崩壊しました。


現在ではスマホのアプリとか、いろいろなプラン、特に二台持ちということを盛んにすすめられるのは、このことが原因なわけです。

つまり、ゲームのアプリなどを増やし、1人の客単価を上げることで補っているのです。






ある大手塾は、大きく広告に「塾のりかえキャンペーン・2か月無料」と銘打ったり、また、他塾を誹謗中傷したりするような広告が出ているのも、これが原因なわけです。


最大の不可解な点は何故、塾を乗り換えるのかという教育的な理由が書かれていないことです。
単に、割引くから、うちの塾に来てくださいというのなら、塾の存在意義はありません





こうして、塾がいわゆる「日用品(コモディティ)」化したということになれば、どうなるか。


塾の内容というのはなかなか理解されにくいですから、目に見える立地条件とか、教室の豪華さ、学生講師に白衣を着させる。ネクタイ着用を義務付ける、あるいはホテルのフロントのようなロビー。こういったもので差別化を図るようになります。


このことに先鞭をつけたのは、なんといっても東京のW塾であります。

私は、W塾が破竹の勢いで伸びていると聞いて、代表者に話を聞きたいと思い、実際に東京まで会いに行ったことがありますが、その内容はここでは差し控えます。




学習塾が内容以外のところで勝負をするということは、それは教育の質の低下、塾全体の劣化につながるわけです。


以前とりあげた塾評論家の杉山由美子氏は、「中学受験の塾を選ぶ」という著書の中で、いろいろな首都圏だけの、大手塾を訪問されたうえで、次のように書かれていました、立場が変わればこれほど見方が変わるのかという例がありました。


どこの塾に行っても、駅前の一番きれいな一等地のビルに入っている、塾って儲かるものだ、などと書いてありました。




私は、これこそが学習塾の現今の問題点であると考えます。



うちの塾はもうかってしょうがないから、駅前のもう少し家賃の高いビルに移転しようとか、机やいすを高級なものに変えようなどという経営者など、いるはずがありません。



なぜなら学習塾というのは、前を通りかかったから、とりあえず入塾してみようとか、看板を見て入塾するものではないのです。



そんなお金があれば、講師の給料をあげて優秀な講師の確保・保険組合の設立・退職金制度の充実。こういったものにお金をかけるべきです。



逆に、駅前の一等地に一流ホテルのようなきれいな設備をつくらなければ集まらないほど、塾の経営が厳しくなった、追い詰められたのだと、私は解釈するわけです。






一般にコモディティ化すると、このような現象が起こるわけです。


たとえば、ティッシュペーパーを買うときに、紙の素材とか原産地とかいったものを調べて買う人はいません。


これと同じことが、学習塾でも起こっているわけです。




アップルの創業者は、iMacを出した時に、パソコンが進化していくにつれて、もうメモリーとかハードディスクの容量とかはどこも変わらなくなっているから、デザインや色で選ばれる時代になると言っていましたが、その通りになったようです。



ですから、私が思うに、現在アニメのキャラクターや有名タレントを塾の広告に起用しているところもあるようですが、いったい、あの出演料等の費用にいくらかかっているのかということを考えれば、その分、教育の質は必ず落ちているのではないかと思うのです。


曖昧なことを言うつもりはありません、過去30年の、塾の非常勤講師の時給は下がっています。



品川市(仮名)という中堅地方都市の駅前に大きな校舎を構えている品川ゼミという塾が、わずか電車で数駅、時間にして15分という場所に新校舎を開校しました。

私はこれを見て、ああ、品川ゼミはよほど経営が苦しくなっているのだなと思いました。


(* 塾の特定を避けるため、都市名および塾名を仮名にしています。)




保護者から見れば、近くに塾ができた、通塾が便利になった、車で送り迎えをしなくてもよくなった・・・・・、それで喜ばれるかもしれません。


保護者から見てのメリットは塾側から見た大きなデメリットなのです。


塾経営者から見たならば、すぐ近くに新校舎を開業すれば、商圏がバッティングしますから、経営は大変苦しくなります。


しかも、講師の給与、家賃、電気代、講師の駐車場代・・・・そういったものが、単純計算でも2倍近くかかることになるわけです。





ですから、厳しいことを言えば、塾を劣化させてしまったのは保護者であると、私は思います。


保護者が自分の都合に合わせて好きな曜日を選びたい、授業料の安い塾を、近くの塾を・・・・・それに迎合した形で、(*)学習塾が展開する。これが、通塾率が飽和した段階での塾の競争になっているのかと思われます。


内容においても、そうです。学習塾業界が飽和して、新たな生徒が入ってこなくなると、今いる生徒が辞めることを恐れて、保護者や生徒に厳しいことが言えなくなっているのです。



(*)具体例 

「無料体験授業」が「無料ご招待授業」という言葉にかわっている塾もある。

塾経営者の集まりでよく取り上げられる例「昔は、授業を延長して教えると、保護者からお礼の電話が来たものだが、今は苦情が殺到しますね。こちらもしんどい中、何とか生徒の成績を上げようと費用も頂かないでやっているのですがねぇ」


私は断言いたしますが、本来、教育の質を高めることによって生徒を募集するということが、塾の本道だと思います。


しかしながら、大学においても、オープンキャンパスでケーキを無料サービスするとか、ボールペンなどのグッズを配布するとか、ランチを無料で出すとかして、生徒を集めています。そして今や、国立大学でさえもが、広告(広報)を出しています。


確かにそういった経営努力(?)で、一時的に生徒は集まるかもしれません。が、すべての大学が同じことをするようになれば、長期的には大学と受験者の双方が共倒れになるということは明らかであると思われます