税金でつくられている小中学校で使用される教科書を、例えば大手の書籍店において、並べて売ってあるところを、皆さんは御覧になったことがあるでしょうか?

 

注文すれば手に入るのですが、それでは、見比べた上で買うということはできません。
 

教科書そのものを一般人が購入することに関して特に規制はないようですが、たとえば、指定されている書店でなければ購入できないとか、学校で配られる前に一般の方に販売することができないという規制が、どうもあるようです。

 

小学校・中学校で、自分のお子様が通っている学校の教科書を見ることはともかく、すべての教科書を見比べたという人は、少ないのではないでしょうか。そのうえで学校教育の議論するべきす。

 

ゆとり教育の問題で、それ以前の教科書と、ゆとり教育後の教科書をすべて見比べたという方がどのくらいいるのでしょうか?

 

さて、いろいろな学者が教育について論じていますが、昔の教科書のイメージで教育を論じ、現在の教科書の内容を御存じない方が少なからずおられるように思えます。

 

ある有名な経済学者は、中学校の英語の勉強について、

 

「教科書を何度も繰り返して音読することである。丸暗記するほど何度も読めばよい」という意見を述べられていました。

 

これは確かに、30年前には役に立つ学習方法だったと思います。

 

ところが現在の教科書を見ると、会話文が多くなり、さらに非常にカラフルになり、内容も昔のような文章ではなく、イチロー等のスポーツ選手や、アニメやコミックといった、ずいぶん卑近な内容のものが題材として出てきます。挿絵もずいぶん漫画風になっています。

 

ですから先ほどの高名な経済学者氏は、現在の教科書を見ないで発言されたのだと思います。

 

 

ある英語の教科書では、「日本で話されている主な言語」というところに、日本語とアイヌ語と書いてあって、仰天したことがあります。


ところで、シャクシャインの戦いというのを御存知でしょうか?

これは私が小中高を通じて教科書で一度も見たことがありません。

 

しかし現在の教科書には、必ず載っているようです。

 

 

また、柳寛順(ユ・グァンスン)という方をご存知の方はおられるでしょうか?

 

 

 

随分と昔の教科書とは異なるようで、朝鮮独立万歳を叫んだため逮捕され(←状況は?、どこで叫んだの?)。

 

(現在の日本でも無許可で公道デモをすれば逮捕されることもあるのですが・・・)

 

わずか16歳(年齢については諸説あり)で獄死された少女の話です。


 

誠にもって論理が不明確なのですが、日本の教科書

 

「獄中でも、その志を曲げずにいたため、16歳で獄死してしまいました」(中学生の歴史(帝国書院)」193ページ)
と断定されていますが「信念を曲げないと、人間はそれだけで、死ぬのでしょうか?

 

(*獄中で獄死などという日本語は誰が書いたのでしょうか?)

 

それなら、マハトマ・ガンジーもネルソン・マンデラも獄死しているはずです。

 

「信念を曲げなかった結果・・(たとえば暴行を受けとか食事を与えられずに)・・というような事態になり、獄死した」というのなら論理的整合性があるのですが。それならば、そう書くべきであり、法律に基づいて刑吏を罰するべきで、当時の日本政府に違法性の事実であれば、今からでも日本政府は謝罪すべきです。

 

 

MUTILATION(両手両足を切断して死体をさらす恥刑)いうのは対応する日本語すらない。あれは中国の文化です。

 


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

「中学生の歴史(帝国書院)」193ページ


 

事実を確認しないで謝罪するのも良いことではありません。

事実を確認しないで批判するのも良いことではありません


最低限、なぜ獄死したのか?実行犯は(保護国化した)もともと日本人だったのか?命令があったのか?命令を下したのはだれか?

 

何もなしにいきなり「日本の支配に抗議して信念を曲げなかったので死んだ」というあいまいな事項は教科書に載せることとでしょうか?
 

 

数学・算数の教科書も、30年前の教科書とは大きく異なっております。

 

たとえば、ある大学の先生が、大学生の学力低下を嘆き、学生に開平計算をさせたところ、できた生徒は皆無であったとおっしゃいました。

 

これは、現在の教科書では開平計算は取り上げられていないをご存じないからのようです。

 

というのは、現在ではコンピューターの進歩により、百円ショップで販売されている計算器でも、ルートの数値はたちどころに求められるからです。


 


 

また、対数の説明においては、昔(今から30年前と定義します)においては、対数尺の説明をすることがわかりやすかったのですが、今では、対数尺ということはもう廃れてしまっているようです。


 

対数尺を使えば、確かに、掛け算が足し算になるとか、こういったことが目に見える形で対数の便利さがわかる。その意味は今でもあると思いますが、現在では、コンピューターや電卓で計算したほうが早いからです。


 

また、対数方眼紙というのも、実験心理学で対数グラフに変換するときに使ったものですが、そんなことをしなくても、現在ではちょっとパソコンのソフトを利用すれば、対数のグラフはすぐに書けるわけです。

 

今でも対数が利用されているのは、たとえばブライトリンクやオメガのスピード・マスター等の時計の周りの目盛が、対数目盛になっていることぐらいでしょう。



教科書というものは学校教育の基本であります。

全ての国民がいつでも、気軽に目を通すことが出来るべきです。


 

そこで、私がここで建設的に提言したいことがあります。


 

それは、すべての都道府県・市町村立の公立図書館に、日本国内で発行されている全種類の教科書を蔵書として置き、誰もが自由に閲覧できるようにすべきである、ということです。あるいはネットで過去の教科書も含め公開すべきです。税金でつくられている教科書を納税者は自由に見ることが出来るのは当然のことです。


 

このことは、学校を選ぶ際、あるいは転勤に伴う転校、帰国子女が日本の学校に編入する際に、非常に参考になると思われます。


 

補足:

なお、岡山にはないようですが、神戸(三宮の商店街のなか)には教科書専門の販売店があり、そこには教科書がずらりと並んでおり、手にとって目をとおし、それぞれ比較した上で、買うことができるところがありますので、私は時々、神戸まで行っております。  




 

もう、一つだけ指摘!東北大震災では教科書「中学生の歴史(帝国書院)245ページ」によれば、「原子力発電所での事故による放射能もれ」がおこったとかいてあります。

 


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

 

原発そのものが事故を起こして放射能が漏れたのであって「原子力発電所で(何か別の事故が)起きたのではないと思うのですが・・・


(2013.1.13 原記事)