しかし、個人旅行で行くと、まったく違う経験をすることがあります。
たとえば、ヨーロッパに一人旅で列車に乗っていて、一番困るのは、トイレに行くときに、席を離れると、仮にそれが指定券を取っていても、帰ってきたら他の人が座っていることがあるということです。
何を言っても、どけてくれないのです。
国際列車ですから、言葉が通じないというふりをされれば、何の反論もなされないわけです。
「話せばわかる」というのは、言葉が通じることが前提とされているわけです。
また、個人旅行をしていると、本当にひどい目に合うこともあります。
ドバイの青年からは、「日本人は犬や猫を食べるというが本当か」と聞かれたことがあります。
また、東欧というのは、もともと旧共産圏ですから、反米主義の教育を受けている人が多いわけで、そのことはすなわち、反日教育にもつながるわけです。
ですからたとえば、私がルーマニアからブルガリアに行ったとき、途中でアジア人には一人も出会うことがありませんでした。そういうところを歩いていると、現地の人が、「イエロー」とか、「イエロー・モンキー」など,後ろから言っているのを経験したことがあります。
ですから、個人旅行の最大の経験というのは、人種差別ではないかと思っております。
これはやはり、海外に赴任した商社マンなど、多くの海外勤務の友人に聞いてみて、例えば、ヨーロッパで人種差別を受けたことがあるかと聞いてみると、たいていの人が「ある」と答えています。
有名な数学者の藤原正彦先生は、フランスでひどい人種差別を受けた経験を書かれています。*「天才たちの栄光と挫折」 新潮選書参考
こういったことはめったに表に出ない(というより気がついていない)だけのことであり、例えば、私がオーストラリアで受けた人種差別は、とんでもないものでありました。
オーストラリアで、ダイビングクルーズというボートに乗っていました。これは、1週間程度、合宿のような形でダイビングをするものです。
日本人客は、私一人でした。ただ、スタッフには日本人もいました。
毎日食事を一緒にとるのですが、私が座っていると、残った一つの隣の席が空いているのを見て、欧米人が言いました。
「なんだ、黄色人種(カラード)の隣しか空いてないのか」と。
私はもちろん睨みつけて、「席を替わりましょうか」と言いましたが、相手は「I‘m teasing.(ほんの冗談だよ)」と言いましたが、こういう冗談を欧米人同士でいうことは考えられません。
はっきりとした証拠で残っているものもあります。
このダイビングクルーズでは、お客様のダイビングや旅行の記念として、旅行中に撮影したDVDを販売するという企画がありました。
もちろん、十数人ですから、私もカメラの前で写された経験があります。
しかし、自宅に帰って再生してみると、私と日本人スタッフの撮影された部分はすべてカットされており、一度も写っていませんでした。
そのあとのことです。
荷物をホテルに送るから、名前を書いてくれとのことでした。
私はこういった場合には、フルネームでホテルを書かなければならないことを知っていたので、たとえば単に、「シェラトン」と書くのではなく、「**シェラトンホテル」と書くわけです。
そうすると、現地のスタッフが、「いや、シェラトンだけで大丈夫だよ」と忠告してくれました。
案の定、荷物はほかのホテルに輸送されていました。
ですから、こういった経験を考えるにあたって、私は何を思うかというと、明治時代に欧米に留学・視察に行った明治の偉人たちがいかに苦労をしていたかということです。
また、アメリカ合衆国に行ったときの話です。
ニューヨーク市の喫茶店でコーヒーを飲んでいたところ、かなりお年を召された女性が来られて、「お前は日本人か」と聞かれました。
「そうだ」と答えたら、非常に分かりにくく聞き取りにくい英語でしたが、なにやらぶつぶつと言い出しました。よくよく注意していると、「プリズナー」と言っているようでした。そのうち、その女性の英語に慣れてだんだん内容がわかってきました。
私はぞっとしました。
要するに、「私の夫は日本軍の捕虜になって殺された」と言っているわけです。
この女性は、毎日、この喫茶店で、日本人をみつけては、文句を言っているのでしょうか?
本当に、世界の在り方というのは、難しいものであって、決して単純なものではないということを感じました。
今のように、日本という国を知らない人はおらず、SONYやCANON、HONDA、TOYOTAの製品は世界中どこにでもある、こんな時代にさえ、これだけの差別を実際に私が受けた経験があるわけですから、明治時代の人たちがいかに苦労したか、
そして、明治維新から現在に至るまでの日本の在り方についてのいろいろな思いがあったはずです。