2012-06-29


うちの子は勉強しなくて・・・親の言うことをきかなくて・・・


と、どの保護者も言う。東大に行った生徒の保護者も、京大に行った生徒の保護者も中一くらいでは良く言われた。


岡山は狭い。UBQの卒業生でもうママになっている方に、この前、街でお見かけしたら、子供(男の子)がもう、しっかりと二足歩行している。あっという間に大きくなるのですね。確か、何年か前にお見かけした時は、ママにひたすら、しがみついて、生まれて初めてみる外の世界を、不安そうに、きょろきょろ見ながら、抱っこされてたのに。


あらま、ずいぶん大きくなって・・・・


それが、やんちゃになって、ちっともママのいうことを聞かなくなりました。大きくなるのは、有難いのですけど。少し、さびしい気持ちもどこかにあるのかしら。このまま子供でいて欲しい気持ちも、心のどこかにあるのかしら。


わかる!わかる!みんなそうでしょう!


というのは、この話を、高校の同窓会でしたら、随分と、同意されたからである。


今は、親の言うことを全く聞かないけれど、ついこの前までは、「パッパー。だいしゅきー。ちゅーしてー」といっていた娘が、今は、日常会話ゼロ!ちょっとでも身体がふれようものなら「ウザイ!キモイ!セクハラ!」。何てことだ!信じられない!彼氏なんか連れてきたら許さん!といった父親。


「マッマー。オッパイ」と言ってハイハイしていた息子が今は、あっという間(特に母親から見ると昨日のこと、どころか、ほぼ同時に見えるそうだ)に大きくなって、何を言っても、無視。


挙句の果てが、保護者参観日に来るなって!?


どれだけ苦労して育てたのよ!あなた忘れたの!という母親。



一番、その集まりで同情されたパパは、今度の土日に休みが取れたから、小学・・・年生の娘に、昔の感覚で、「今度。パパと、遊ぼうか?」っていったら、「えっ?なんで?」と言われた方である。




そこで、「うちの子は勉強しない」と、どこの塾でも言ってくる保護者がいることについての仮説。


親の愛情表現のノスタルジー。

昔は、言うことを聞いてくれたのに、今は親のいうことを聞かなくなって、

ちょっぴり寂しい。(←本当はすごく寂しい)


子供の健やかなる人生を願う親の愛情表現。


東京大学理科3類合格者の母親も中一の時に、「子育てに失敗したかも・・・」とおっしゃったのもこの気持ちから。


(東京大学理科3類進学者は、皆さん中一から。個人の特定はできません。もちろん、偶然ではありません)


UBQのように、これだけ、できる生徒ばかりの塾でも、みんな言う。


塾の責任者はきちんと理解して、保護者のクレームと勘違いしてはだめ。


残して補習をしたり、宿題を増やして子どもを潰してはいけない。


「うちの子は全然、勉強しない」は、塾経営者には、もはや、間投詞の系列と考えるべき。




うちの子は全然、勉強しない・・・という保護者の子供が伸びるのも当然。



子供の育児をネグレクトする親は絶対に言わないから。

子供に愛情のない親は絶対に言わないから。