バイロイト音楽祭でも、パルシファルは特別な作品であって、拍手をしないことになっていた。初めて巡礼した時には、一幕の終わりには、拍手がなかった。とほうもない静けさのあとに、重苦しい雰囲気で無言で退場する。せめて、合掌して帰ることにしていた。アジア人が合掌していると、どうも、(一部の)ヨーロッパ人からは特別な敬意に見えるようだということも、おぼえた。
バイロイト音楽祭にいったときにも、事務局に行って、簡単に謝辞を述べて、最後に、退室するときに、ちょっと手を合わせると、次の年に行けばヘア・ナガヤマと歓迎してくれた。
指揮者クナッパーツブシュは、パルシファルの演奏の前に、練習をしなかったと伝えられる。
そのとき、教会のミサの練習をする神父はいない。といったそうだ。これに倣えば、教会で拍手をする人もいないからということになる。
その後、バイロイト音楽祭では、拍手と、それを制する声(シー)が入り乱れるようになった。いまでは、拍手喝さいの見世物になってしまった。
倉敷コンサートでも、合掌してディースカウさんに敬意を表した。
あれから、何十年たつのであろうか。ふと、新聞を見るとこういう記事が載っていた。本当にありがとうございます。 もう一度、合掌。
