2012-06-01

 

以前述べた「フルトベングラー バイロイトの第九」については多少の係わりがある。

 

いわゆる「もう一つのフルトベングラー バイロイトの第九」発見のきっかけは、私の持ち帰った資料による。バイロイト市内には、骨とう品店や古書店がある。

 

表には出てこないが、毎年行って、顔なじみになると、貴重なものが奥から出てくる。フルトベングラーの直筆サイン入り写真・ビニフレッド・ワーグナーがリヒャルト・シュトラウスの奥さんにあてた直筆ハガキなど。

 

バイロイト音楽祭の公演プログラムも売っている。過去のものがずらりと売っている。最近のものは英文表記もあるから(昔のものはドイツ語のみ)、例えばクナッパーツブシュがウィーラント・ワーグナーと喧嘩をしたときの日本では知られていないエピソードも紹介されている。

 

音楽評論家には宝の山なのであるが、あまり日本の音楽評論家は関心がないようだ。

 

ハインツ・ティーチェン指揮の指輪のプログラムで一万円くらいだ。


さて、畏友でレコード蒐集家でも有名な、大変な教養人のA氏には、お世話になったことがある。貴重な音源を入手できるだけの人脈がある方だ。おかげで音楽評論家にも有無を言わせない録音が聴けた。

 

いつかお礼をしなければと思っていたので、バイロイトでしこたま資料を買ってきた。特にフルトベングラーの第九の演奏記録や書かれたものを売ってくれと頼んで、とにかく担いで日本に持って帰った。

 

 

A氏にすべて寄贈した。

 

 

そうすると、当日ゲネプロをしていることがはっきりと書かれていることが分かった。

 

経緯は、はしょるが、「もう一つのバイロイトの第九」が日の目を浴びたのはこのためである。

 

鬼の首を取ったような自慢話しをするつもりはない。こんな細かい演奏記録の真贋論争をするのは日本人だけであるからだ。当時、居合わせた方がいくらでもいるのですからね。私もバイロイト音楽祭に行くようになってからCDやNHKの放送には興味がなくなった。DVDは問題外。実際に見たものですから。

 

 

録音を聞いて細かい分析をするよりは、直接、録音をしたドイツの放送局に記録を調べてくれと依頼すれば済むことだからである。なによりもウォルフガングさんは何度も来日されている。バイロイトでも会ったこともある。劇場の隣に住んでいる。

 

たとえばリヒャルトの父親がガイヤーかどうかは、子孫のDNA鑑定でけりが付く。

 

 

これらの資料は、現在あるドイツ文学者の手元にある。

 

いずれ、この資料に基づく本が上梓されるときいている。

その際には「原資料提供 長山氏」と記載されることになっているから、上の話がホラ話ではないことが証明されるであろう。

(2014.4.5 補注:東北の震災・出版不況のため延期になった。ここまでの記事は震災前の記事である)

 


下は、もちろんクナッパーツブシュのパルシファルのプログラム

 

UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

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右の部分にウィーラントのクナ評が書いてある。クナがウィーラントとけんかをして「ワグナーについてはお前より詳しい!」と言ったと公式パンフレットに書いてある。  

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これは、リヒャルトがルドルフ・ネッカー氏にあてた手紙(直筆)。


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全部、バイロイト音楽祭のチケット。もっと古いものは捨てた。


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戦前・戦中のプログラムは危険すぎて見せられない。かわりにこれを。

左下に、ハイル・ヒトラーと書いてある。フルトベングラーも同じことを書いて、戦後随分批判されたが、当時のはがきを古書店で見てみると、ほぼ、すべてに書いてある。これは事実を書いているだけであって、判断はブログ読者にゆだねる。

(2017・8・15)フルトベングラーのバイロイトの第九について事実関係をそろそろ詳しく記録しておく。放送録音であるから放送局に音源が残っている。同時放送ではない。ナレーション入りの録音が出てきていないでしょう。いろいろな形で分散したものが現在のCDである。そこで上記資料からA氏がもっともオリジナルの原録音を送ってくれるように依頼した。そうすると2種類が来た。ある音楽評論家が取りに来た。これは偽物だとネットで言い出した。ネットで書いたのは取りに来てから一時間もたっていない。すべて聞いてもいないことは明らか。これが話がややこしくなった原因の一つ。また現在、完全無編集のライブは出ていない。スットクホルムの放送局にある。