UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ
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直接電子辞書とは関係ありませんが、多くの電子辞書には、この「全訳古語辞典」が搭載されているようなので、このテーマにまとめました。





このアメーバブログには、解析の機能がついていて、どういう検索ワードでブログにたどりついたかがわかるようになっています。



そうすると、長い英文をそのまま打ち込んでいるとか、数学の問題文を長々と打ち込んで検索しているという人が、時々ではありますがいるようです。


 どういう立場の人が検索したのかはわかりませんが、おそらくは、受験生がインターネット上で宿題の答えを探そうとしているのでしょう。



試しに、ある数学の問題をそのまま打ち込んでみると、予備校の過去問を集めたサイトにヒットし、そこに解答が全文掲載されている場合があります。

 

しかし、こういう勉強法は本末転倒以外のなにものでもありません。英語なら、一つ一つの単語を調べて、わからない文法を調べていくことによって、数学であれば、実際に計算したり、考えたりして解くことによってでなければ、力がつかないことは言うまでもありません。

 

 また、一部の学習塾によっては、学校の宿題とか、教科書の問題をまるまる教えるという、困ったことをしている塾があります。英語については、学校の教科書や副教材の文章を全て訳してくれると聞いています。


その塾の塾生は、数学であれば答えを塾で写しておいて学校に提出する、英語であれば、訳をそのままノートに書いて、学校の授業で当てられたらそれを読み上げるわけです。


答えを丸写しするような勉強法では力がつかないことは、明白です。

 

さて、本題に入ります。



昔はなかったように思いますが、近年、「全訳古語辞典」という名の古語辞典が出版されています。これは、ある単語を引くと、古典のその単語のある箇所の前後の文の訳がそのまま全部、訳されているという辞典です。



 ここで、先ほど述べた話とつながったことがお分かりでしょう。

 

 例えば、ある一つの単語を調べたならば、その単語が使われている源氏物語とか、方丈記とか、どの教科書でも取り上げられているような有名作品の該当する部分の原文が全て書いてあって、それに対応する訳も書かれているというわけです。



全訳古語辞典の最大の問題は、文と文を対応させて覚えてしまうことです。つまり、単語の品詞や用言の活用を調べたり、文法にあたったりすることなく、文全体を丸覚えしてしまうわけです。



これがなぜおかしいかというのは、こういうことです。



韓国語で「私は日本人です」というのは、

「チョヌン イルボン ラゴ ハムニダ」

というそうです。



この文を覚えているのは、ヨーロッパに行ったときに、韓国人と間違えられることが多いので、韓国の方が声をかけてきたときに、とりあえずこう申上げるのです。(理由は一目で日本人とか、旅行者とわかる格好をしていないからです)



ところが私は、呪文のように文全体を丸覚えしていますから、先ほどの文の中の「イルボン」はおそらく日本人のことのようですが、「チョヌン」が何か、「ラゴ」が何か、「ハムニダ」が何かということは、さっぱりわからない。ですから、「私たちは日本人である」とか「あなたは日本人ですか」ということを韓国語で何というかは、さっぱりわからないわけです。



もし、「全訳英語辞典」というのがあったらどうでしょうか?



ハードディスクにたくさんの英文が入っていて、検索すれば、その英文の訳がまるまる出てくる。便利ですね。


しかし、その辞書に入っていない新しい英文や論文が出てきた時には、対応できないわけです。あくまでも、古文という世界に関して成立する言葉です。


ですから、全訳古語辞典が成立する理由というのは、こういうことになります。


古文では、どの教科書にも掲載されているような有名な個所は限られています。また、著作権の問題も発生しません。


もう一つ、全訳古語辞典の弊害は、こういう勉強をしていると、あまり出てこない文章に対応できないことです。現にセンター試験においては、一部の教科書に載ってる文章を出題すると不公平だということで、あまりなじみのない文章が出題されるという傾向があることは、以前本ブログで説明したとおりです。