電子辞書の発音機能は、英語の単語を実際に辞書のスピーカーから流し、それを聞くことができるというものです。
さて、以前本ブログ記事「電子辞書の発音機能
」で、外国語の発音というのは、聞こえたとおりに発音してはいけないと書きましたが、このことをもう少し詳しく説明したいと思います。
音楽を例にとって説明します。
ベートーベンの第九を収録したCDのなかに、フルトヴェングラーがバイロイトで指揮したものがあります。その中で、フルトヴェングラーが舞台に出てくるときの足音(とされる)が録音されているものがあります。
私は以前、何度も聞いていましたが、それにはまったく気づきませんでした。
ところがある時、これがフルトヴェングラーの足音であると説明された解説書を読みました。
そこで改めてCDを聞き直したところ、確かに足音(のような)ものが入っているわけです。
その知識をもってCDを聞くと、今度は常に足音(のような)ものが聞こえるようになるわけです。
もう一つの例を挙げます。
モーツァルトの生まれ故郷で、Salzburg(ザルツブルグ)という街があります。
このSalzburgの「Sa」の部分の音は、日本語でいうと、「サ」と「ザ」の中間部分の音だから、「サルツブルグ」と発音したほうが分かりやすいと、現地の人からアドバイスを受けました。
そしてそのアドバイスを聞いて現地の人が発音しているのを聞いてみると、皆「サルツブルク」と言っているように聞こえるわけです。
このように、人間が音を聞くというのは、単純な作用ではなく、脳のデータベースに基づく総合的な働きなのです。
だから、電子辞書の発音機能を用いて発音されるのを聞き、それを真似するというのは、発音記号の学習や音声学の勉強をすることがおろそかになるという、安易な勉強法につながる恐れがあると思われます。
ものを見る=視覚についても同じことが言えます。
たとえば、30年ぶりに同窓会に行ったとします。
そこに、あれは一体誰だ、何度考えてもわからない、かつての同級生がいます。
そのうち出席者の誰かから、「彼が田中君だよ」と教えられて、あ、よく見ればあの田中君じゃないか!と思うと、それからはその人が田中君にしか見えないわけです。
こういう例もあります。
久々に会ったら、いや、ちょっと痩せた(太った)のではないかと言われることがあると思います。
久々に会えば、その人の変化が目で見て分かるわけです。
ところが、毎日自分の顔を見ていると、自分自身の脳のデータベースが少しずつ更新されますから、自分が太ったとかやせたとか、あるいは年を取ったということは、なかなか気が付きにくいものなのです。
「私は人から(実年齢より)若く見られている」
と勘違いする女性(や男性)が多いのも、これと同じ理由です。
ですから、撮影者の目で見たままをそのまま撮影できるデジカメを製造することは、非常に難しいことなのです。