岩波科学ライブラリー「かけ算には順序があるのか」(高橋誠著)を読んでみました。


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

かけ算 順序 とか 掛算の順序 とか かけられる数  とか 小学校のかけ算の教え方 とかで議論がなされている。原因は、



教育指導上の正しさ」と「数学的(学術的)正しさ」を混同している点にあり、そこに本質的誤解があるからではないかと思われます。この問題は数学者に解答を求める問題ではないのです。数学の問題ではないのです。


例えば、3歳の娘がいるご家庭を設定します。ある冬の寒い日に、家においてある。ぬいぐるみのクマさんをみて、


パパー。クマさん。さむいのー。かわいそー、もうふ。かけるーてー。


と言ったなら「ぬいぐるみは脳神経系が存在しません!寒さを感じません!客観的科学的事実です!・・により神経の伝達回路において・・・脳に刺戟が伝わり・・云々。だから、なんて非科学的かつ非論理的なことを言うのか!」と叱る親は「正しいこと」を言ったのでしょうか?


例えば、絶対に甲子園で優勝することは客観的にありえないような部員の募集もままならないような毎回、一回戦でコールド負けの弱小高校野球部の部員が懸命に早朝練習をしているとします。


その部員が「僕たちは甲子園で優勝するのを目標に頑張っています」と言ったなら、「それは不可能です。どの高校野球の専門家に聞いても100%不可能であるというでしょう。あり得ないことです」と声をかける先生と「そうですね。夢を目指して頑張りなさい」と声をかける先生とどちらが正しいかということです。

 

もう、一つの例を挙げます。



 私が小学生低学年の時、校庭で珍しい植物をみつけたので、当時の先生に、その植物の名前をお聞きしたことがあります。その時その先生は、図鑑で調べて下さった後、



「おや!この植物は図鑑に載っていませんな!これはキミが世界で初めて発見した新種の植物だ。発見者の名前をとって、これを『nagayama草1号』と名付けることとしましょう。ノーベル賞級の大発見ですな!! だから、次はがんばってnagayama2号を探してください!」とクラス全員の前で褒めて下さいました。


「校庭で小学生が新種の植物を発見して、それがノーベル賞に値する大発見である」ということは絶対に、ありえないことであって、どんな学者に聞いても、非常識極まりない発言で明らかに間違ったこと学術的には、その先生はおっしゃったことになります。

 


(もしかしたら、「そんなことは(学術的に)ある筈がない!」と思った保護者には「学問的にありえない発言をする非常識な先生だ」と感じたかたもいるかもしれません。しかし。色々な日常の自然観察に関心を持たせるという「学級経営上(*)の配慮」から、教育指導上、クラス全員の前で言われたのかもしれません。)

ただ、それを聞いて単純にも私は、すごくうれしくなって、理科の勉強が大好きになったことは事実です。


(*)学級経営:集団の授業であることを考えて、クラス全体、学年全体のことを考えて発言・指導すること。


結果として、そのことにより生徒が理科に関心を持ち、実際に理科が得意になれば良いと教育指導上考えたのでしょう。

 

またUBQにおいても、特に中1生に対しては、「このような解法をみつけました!」と言って持ってきたものに、厳密性を欠く部分があっても、些末な誤りを中1の段階で指摘すれば、せっかく一所懸命考えてきたということを否定してしまいかねないので、多少の数学的な誤りは目をつぶっても、「素晴らしい考え方だ」と、大いにその生徒をほめることがあります。




 さて、掛け算の順序の話に戻ります。


私に、ある小学生が、6×4と4×6は同じなのになぜバツになるのか、と質問してきたとすれば、このように答えます。

 

「 君は大変すばらしいことに気が付きましたね。 6×4と4×6はいつも答えが同じになります。これを少し難しく言うと、『(積の)交換法則』という法則が成り立つことになります。

 

 でも、そのようなことをまだ学校では教えていませんから、他の生徒は6×4と4×6は同じであると気づいているとは限りません。なかには、違うと思っている生徒もいるでしょう。



 だから、バツにしないと、それを見た他の生徒が間違った式を書いているのに、何でバツにならないのかと思うかもしれません。

 


君の「当たり前」のことが、一緒に授業を受けている生徒が「当たり前」と考えていないこともあるのです。


学校は、君一人のためにあるわけではありません。君一人のために授業をしているわけでもありません。



そういうことを考えることも、学校では大切な勉強です。」





これは一つの考え方ですが、いろいろな考え方があるということを生徒に伝えることが学校の目的ではないでしょうか。そうでなければ、全員個人指導にすればよいのです。




 また、保護者が、自然数の積においては交換法則が成り立つとか、6×4と4×6は同値であるからバツになるのはおかしいと言ってきたら、こう説明します。




「まず、同値であるとか、交換法則が成り立つという言葉を、すべての保護者が理解しているとは限りません。

 

 もし一般の日本の成人に、「同値とは何か、必要条件とは何か、十分条件とは何か?加減乗除で交換法則が成り立つのはどういう時か?行列の積の交換法則は成り立つのか?」というテストをしたとすれば、おそらく正答率は非常に低いものになるのではないでしょうか。

 

 交換法則が成り立つからバツにするのはおかしいというのも確かに一つの意見ですが、交換法則を習っていない生徒のためにバツにすべきだというのもまた、一つの意見です。両方が正しいのです。



交換法則が成り立つというからとか同値であるからというのも、大人の意見を押し付けるからであって、子供はそんな単純なものではありません。


個別の例から引き出される概念としての交換法則があるのであって決して、数学の普遍的な理論を踏まえて、子供はかけ算を計算するのではありません

 

 むしろ、この機会に、保護者と子供で話し合われて、さまざまな考え方や常識があり学校ではある場合にはこう教えたが、別の場合には違うように教えたということはできませんから、一つのスタンダードをつくっているということを御理解いただきたい。


学校というのは多様な意見とともにスタンダードを学ぶところです。スタンダードがあるからこそ多様な意見が言えるのです。ある生徒が当たり前と思っていることが他の生徒には、当たり前と限りません。


自分とは違う考え方をする生徒や保護者がいるということを小学生の時に学ぶことはとても大切なことではないでしょうか?


方のお子様が6×4と4×6は同じだ、当たり前だと思っても、今の段階では、そうは思わない生徒もいるということを理解することは、お子様が将来、社会に出られたときの、人生の一番、有意義な社会勉強ではないでしょうか?



(*掛け算の順番を、指導上、一時的に決めた結果、その後中学生や高校生になってもわからなくて大人になっても、6×4と4×6は違うと未だに思っている人がいますでしょうか?教育というのは理論ではなく実践に顕れるものです




さて、話は変わる。


本書は学校教育をずいぶん批判しているのだが、その中で、とんでもない教師が紹介されています(以下引用)。


「 3匹のウサギの耳はいくつか,という問題に,「3×2」という式を書いた子どもに,「ウサギの耳は3つなの」と嫌がらせ的な反問をする教師がいるのを,本人が得意げにネットで書いているのを見たことがあります。子どもは,「3匹×2個/匹」のつもりで書いたのでしょうし,あるいは,「3個/側×2側」(左右両側に耳が3個ずつ)と考えたかもしれないという可能性も無視して,「3個/匹×2匹」という意味に解釈してバツにするわけです。(太字・下線部は引用者による。同書41ページ参照)」






これを読まれたら、中には読者は、なんてひどい教師だ、こんな小学校の先生がいるなんて許せないと思われるかもしれません。





ブログであれツィターであれ、ネットで見ただけで、どうして小学校の教師が書いたということを判断できるのでしょうか?



ネットで見たことがあるというのであれば何でもかけるわけであって。「自民党は・・・・である。」とか「岩波書店は・・・・・である」というのをネットで見たことがある。何でも書けますね。



実在する小学校名と教師の実名(と思われるもの)が書いてあっても、それを、第三者が書き込んだ可能性もある。



その小学校校長なり教育委員会を通じて、事実関係を問合わせない限り、分からないはずです。



ネットを見ただけで小学校教師だということを断定するのであれば、そのサイトに小学校教員の身分証明書・実名・学校名でもアップされていたのでしょうか?


(合理的な判断ですが、小学校の教師がウサギを3というと、おそらく校長より3です。と指摘されると思います)



自分の実名と勤務先の小学校名を書いた上でこういう書込みをする教師がいるとは考えられません。ブログをご覧の皆様はいままでにそういったブログやHPを見たことがありますか?


そもそも小学校の教師が実名でブログやツィターをして、学校の指導の内容をペラペラ書き込むはずがありません、。


同書は「岩波科学ライブラリー」なのです。まさか2チャンネルで見たのを丸写ししているのでしょうか・・・という意見をネットで見たことがあります。




おそろしいことに、この話が独り歩きして、同書の書評では、ひどい教師がいると既成事実になっているものもあります


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ここからは余談ですが、「数学の常識が学校の常識ではない」というのであれば、

・正三角形の対角線は直角に交わる。

・ウサギの角は緑色である。

・パンダがバナナであれば、スマホは歯ブラシである。


といえば非常識でしょう。


偽命題から、偽命題を導くことの真偽を・・・・・



*なお、このブログは匿名のブログではありません。ご異議・反論は

08六-2七壱-Ⅷ・に・八・ツバイ(自然対数の底)までお待ちしております。正々堂々とご反論ください。


(2013・2・2補足)本ブログの内容について、大変貴重かつ理路整然とされたアドバイスを頂きました。直接お会いしてお話したわけではありませんが、このテーマに関して高度な学識と数学教育観をお持ちの方で大変、勉強させて頂きました。その結果、ご許可頂いたうえで下記のリンクを張らせていただきました。貴重なご指摘に感謝致します。



http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/699
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/697




(2013/10/5 加筆)積分定数様の意見をすべて拝読・精査させていただきましたが、生徒に「得意げに嫌がらせな反問」および「得意げに嫌がらせの反問」をされている教師の存在は確認できませんでした。「ウサギの耳が三つになちゃうぞー」と小学生の興味を引くように問題提起している教師は確認しましたが。生徒に「嫌がらせ」をしている教師は確認できませんでした。


およそ学術論文的な岩波書店の出版物で数学な内容に関して「・・・・的」という表現はいかがなものでしょうか?


「嫌がらせの反問」と「嫌がらせ的な反問」は解釈の主観性が全く違います。これが岩波書店な、高橋先生な理屈なのでしょうか。



1.当初より「ウサギに耳が3つになってしまうという指導をしているという教師」がいないとは一言も書いてありません。

2.嫌がらせのつもりで反論したかどうかは、その教師に聞いてみなければ分かりませんねぇ。

3.幼児に「遅くまで、外で遊んでいると、おばけがでちゃうぞ・・」ということは間違っていることなのでしょうか?(←これが学術的正しさと教育的正しさのと違い)