UBQの新中1の保護者の相談でもっとも多いものは、


「うちの子供は国語が苦手で」という趣旨のものです。



これはおそらく、全国の中学受験生に共通する問題でしょう。

このテーマについて考えてみましょう。



まず、特に岡山は国立大学受験志向が非常に強い地域です。


そして、国立大学の入試においては、数学が最も合否受験の決め手になることは、言うまでもありません。



さて、「うちの子供は国語が苦手である」という保護者が多いのは、一つは、UBQには将来理系に進むと思われる生徒が多いことと、やはり難関中学受験では、どうしても算数のウエイトが高いからだと考えられます。


算数・数学を基準に判断してしまうのです。


たとえば、算数の偏差値が70で、国語の偏差値が65であれば、これは国語も、大変立派な成績なのですが、ほとんどの保護者は、うちの子供は算数ができるとは言いません。国語ができないという言い方をします。

これは一つの、日本の文化だと思われます。



特に、中学受験の段階では、国語・算数・理科・社会の成績がすべて平等にそろっていて、偏差値上の差がないということは、ありえないことです。


むしろそうであれば、かえって危険であると思います。

そして、必ず、そういった保護者に申し上げるのは、「小説や物語文の、いわゆる心情理解が苦手なのですね」ということです。



ここからは、私の仮説でありますが、なぜ、有名難関私立中学を受験する生徒は、心情理解が苦手なのだろうかということです。


それは、中学受験をする生徒というのは、大変恵まれた家庭で育って、比較的均質な人間関係・社会の中で育っているからだと思われます。

よく言えば「天真爛漫」な子供で、健やかに育ってきた、あかしだと言えましょう。


ですから、人間の暗い部分であるとか、負の感情であるといったものを理解することが苦手なわけです。どうしても、主人公の心理を牧歌的に、ストレートにとらえてしまうのでしょう。



こういうことがありました。


以前、中1で私立小学校から私立中学校に入学した生徒に、

「数学が苦手だという人がいますけれども、そんなことはありません。たとえば、岡山白陵中学校に合格した生徒が、数学が苦手であるなどということは考えられないわけです。世の中には、2分の1+2分の1=4分の1とするような中学生はたくさんいます。つまり、あなた方は決して数学が苦手な生徒ではない」


と申し上げました。

ところが、その話を聞いてびっくりしたその生徒が、


「そんな中学生がいるわけがない。そんなことは考えられない」

と主張するのです。


その時に、同じクラスにいた公立中学校の生徒が、

「いえ、います。うちの学校でも、クラスに何名か、実際にいます」

と答えたので、その私立中学校の生徒は、目を白黒させていました。





一方、「国語が苦手」という質問に対しては、大学受験まで考えれば、心配する必要がないということを、断言しておきます。



小学生の段階では、「多彩な価値観をはぐくむ」とか、「いろいろなものの見方をする」ということを教育の方針として、いわゆる「心情理解」が出るわけです。

しかし、大学入試においては、論理的思考力が問われるわけであって、あいまいな心情理解というものは、ほとんど出題されません。


また、大学入試は、中学入試と違って、古典、いわゆる古文・漢文が国語の出題範囲に入りますから、得点の比率が大きく変わってきます。


ただ、強いて言うならば、そういった「すくすくと、恵まれた環境で」育っている小学生にこそ、たとえば、悲惨な映画であるとか、非常に残酷な結末の小説を読ませることも、教育上必要かと思われます。



推薦作品を挙げましょう。手塚治虫の作品で、「ブラックジャック」というものがありますが、この作品は、「スーパードクターK」とはまったく違います。

後者は、天才的外科医が超人的活躍で、あらゆる問題を解決してしまうという話です。

一方前者の「ブラックジャック」は、人間の暗い面を描いていることに関しては、天才的であると思われます。どんなに天才的外科医ががんばっても。うまくいかなかった例であるとか、科学がいかに無力かとか、人間がいかに残酷でひどいものかということを記述した物語が多く見られます。


決して医学をひたすら賛美するマンガではありません。人は必ず死ぬものだとか、お金に弱い人間の話だとか、安楽死をうけおうドクター・キリコ・・・この作品を御覧になればお分かり頂けるでしょう。


作品中で,キリコは言います。

完全に植物状態(この作品が書かれた当時は竹内基準は無かったので脳死という言葉は使いません)になっている患者を前に、何のために生きているかって?

死なないために生きているのさ、


鉄腕アトムというのもとんでもない不幸な生い立ちを背負っているのです。


不慮の事故でわが子を亡くした天才科学者が、悲しみに耐え切れず、死んだわが子の代替ロボットを作ったが、しょせんロボットはロボットだったのです。いつまで、たっても、子供のままで、大きくならないことに、腹を立ててアトムを、とうとう遺棄してしまう・・・・ここから、物語は始まるのです。