*地理を選択している受験生で「なぜ、行ったこともないし一生行くこともない外国の山や川の名前をおぼえないといけないのですか」と質問する人がいる。以下はその一つの解答である。



地理は歴史の母という言葉がある。世界史の様々な歴史は地理と結び付けて考えれば理解できるという意味であろう。


ハプスブルグ帝国といわゆる「オスマン・トルコ」(*)が一戦を交え、からくも撃退したことは世界史の教科書にも載っていることだ。だから進軍経路のハンガリーにもモスクがある。このことは世界史を取っている受験生ならみんな習っていることだ。


この時にヨーロッパにトルコ音楽が入ってきた。 モーツァルトのトルコ風というのは下の YouTube を聴いていただきたい。

https://youtu.be/UukiDpOTju0


モーツァルトの後宮からの脱出の中に確かにこの音楽は入ってい
る。

https://youtu.be/72qeSMtpDsA




だが、なぜウィーンが包囲されたのか?どうして直接、アドリア海にそって、ベネチア共和国方面へ進軍しなかったのか?そうすれば総本山のバチカンまで、すぐだ。もちろん、イスラ-ムにはキリスト教を攻めるという考えはなかったが。


アルバニアは事実上、ヨーロッパ唯一のムスリムの国である。逆に言えばここでイスラム勢力は止まっている。


百聞は一見にしかず。


モンテネグロからアルバニアにバス移動して驚いた。切り立つ山また山。こんなところをバスが通れるのかというほどの山道をバスが登るのである。


結果的にいわゆる「オスマン・トルコ」はここを越えられなかったのである。この山岳地帯がなければヨーロッパの歴史は大きく変わっていたかもしれない。


一つの仮説を思いついて調べたら、大体その通りであった。嬉しかった。昔からの世界史の疑問が一つ解けたからである。いわゆる「オスマン・トルコ」がウィーンを攻めた経路は、今のオリエント急行の通っている道にほぼ一致している。


また、ひとつ良い勉強になった。



UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

モンテネグロからアルバニア方面を望む。さすがにメフメット2世の金角湾の「艦隊山越え」もここでは無理であろう。



(*)オスマン・トルコといわれているが、必ずしもトルコ人だけの国ではなく、ギリシャやポーランドから皇女を迎えているし、トルコ人だけの国ではないので「いわゆる」を付ける。現在ではオスマン帝国といいます。