1. 塾の指導に何十年も携わってきたから、直接教えた生徒でなくても管理下にあって指導した生徒は多分、万を超えると思う。

 

そのなかで、最も短期間に、成績が飛躍的に向上した横浜ゼミナール(個人が特定されないよう仮名)のX君のことは忘れられない。

 

塾というものがどんなものか勉強させていただいた。この生徒は私の塾講師人生のなかでは、もちろんのことながら、ひょっとすると日本の塾の歴史の中でもっとも塾で成績が伸びた例かもしれない。

 

中一の終わりごろに母親が来て、いきなり泣き出した。男の子だからせめて高校ぐらいは出させてやりたいのだが、学校の先生からは入学できる高校はないと言われた。色々な塾に行っても、すべて断られて、ここしかもう残っていないんです。

 

何回か面談というより泣きわめく母親のカウンセリングをして後、横浜ゼミナールの経営者には、断るように進言したが、情に篤(あつ)い人で、クラスは到底無理であるから個人指導で引き受けるので、どこかの高校に入れるように全力尽くせとの厳命が下った。

 

マン・ツー・マンの個人指導を週に3回は必要だから費用もそれなりのものだということを了解してもらった。

 

これは私が作った制度なのだが個人指導はまず、長山が教えて、何回か授業をしたうえで、担当講師の適任者を決めるという事にしていた。

 

驚いた。数学では基本的な分数の計算ができないし、英語はアルフアベットも覚束無い。成績はもちろんオール1だ。

 

中一なのにどうみても小学生にしかみえない。字義どおりの意味で、教えているとションベン臭い。何よりも気になったのは母親の前で異常におどおどとしていることで、たぶん体罰を加えられているのではと推測した。

 

だが、厳命だ。幸い横浜ゼミナールは立地条件がよいので学生・社会人の講師が潤沢に選べた。

 

何人も指導しているベテラン講師や東大の数学科の大学院生講師では無理だと判断し、【未経験者】から選ぶことにした。学生講師は駄目である。と勘違いされてる方がいますが間違いです。要は教務次第です。

 

母子関係がうまくいっていない。講師は女性講師でなければならないと判断したうえで一番若い、いわゆるお姉さんタイプの、癒し系の物腰柔らかな、教員志望の横浜国立大学の1年生を選抜した。

 

慶應・東京工業大学が多いのですが。慶應は当たりはずれが多いので学歴フィルターを敷いて面接試験を重視した。さすがに東工大の学生は優秀な方ばかりですが、いかんせん教員志望の学生があまりいないので、教えることには向いていない。医学科の学生さんは問題外であった。学力の高い学生講師と教える能力は別物である。UBQでは事情が異なる。OG講師の岡大医学科の夏期講習を手伝ってもらったのだが、「狭い岡山です、生徒は…病院…部長や院長の息子とか岡大医学部の教授の子弟が何人もいることがわかっていますよね」の一言で終わり。

 

将来教員を目指す、高校をでたばかりの講師が初めて教える生徒です.。「これからの貴女のキャリア支援です。小学校の教師になれば、無茶苦茶な生徒や保護者を相手にすることにもなります。塾ですから何があっても教育委員会にねじ込まれることはありません。結果の責任はすべて私にある。お金をもらって将来の教員人生の勉強と考えてください」と言った。また正社員講師ならば全体の利益や進学実績を考えますからこういった非効率的な指導に専念するのは困難です。初めて教える【未経験者】だからこそ、いわゆる【すれていない】・不安半分と期待でやる気満々なのです。だから私の指示どうりに動いた。

 

横浜ゼミナールでは、講師としての力量よりも管理者としての力量の方がはるかに上まっているので、長山に授業をさせるのはもったいないという事でほとんど授業をもっていなかったので様子をモニターできた。

 

いくら週3回の個人指導とはいえそれだけで成績が上がるわけではないから宿題をいかに出すかがポイントだ。

 

個人的には生徒を・・・ちゃんと呼ぶのは大嫌いで塾の「ご法度」と考えているので(ビリギャルの「さやかちゃん」じゃあるまいし・・・・)なのだが、特に許可をした。

 

横浜ゼミナールの経営者の偉いところは、講師とのミーティングにも手当を払っていたところだ。お蔭で徹底的に担当講師と打ち合わせができた。

 

宿題を出すだけなら塾はいらない。

やらなかったからといって注意するだけなら塾はいらない。

 

問題は出し方とチェック方法だ。宿題をやってこない分析ができないのなら塾講師失格。

 

いささかもストレスを与えないように工夫しなさい。

 

それまで断られた塾では男性の熱血講師が厳しい口調で宿題を出してもやってこないので断られたり、辞めさせられたりということは確認済みである。

 

「・・・ちゃんねぇ。いーい。ここの計算を今度までにしてくれると、お姉さん、凄くうれしいわぁ。約束しようねぇ!」とか「お姉さんと指切りげんまん嘘つかなーいってやろうね!」


 

との具合で、ダダ子をあやすような授業をさせた。

 

この方法なら宿題を必ずやると確認したうえで徐々に宿題を増やしていったら、そうこうするうちに基本的なドリルであるが、月に何冊も消化するようになった。

 

近隣の塾でも話題になるくらい成績が伸びていった。繰り返すが塾講師歴数十年の中でX君ほど成績が伸びた例は知らない。もともとがオール1どころがオールマイナス5くらいだったのが、中二の夏には数学は平均点近く取れるようなった。

 

その後、成績も安定して中三の初めには、どの教科もコンスタントに五段階評価で3の成績を取るようになった。

 

その学区ではハイアラキーが確立していて横浜朝日高校(仮名)をトップに最下位グループに横浜日没高校があった(仮名)。横浜日没高校であれば十分合格圏に達したと判断したので、現時点で横浜日没高校は十分合格可能である旨、保護者に連絡した。

 

私も若かった。まだ未熟な塾講師であった。塾って奥深い

 

次の日、朝一番に母親が血相を変えて怒鳴り込んできた。責任者の長山を出せ!

激昂して怒鳴りまくる。

 

「なんでうちの子が横浜日没高校みたいなバカ学校にいかないといけないのか!? どうして横浜朝日高校にはいれないのか!」

 

「横浜日没高校に入れるために高い月謝を払ったのではない!お前らは詐欺師かぁ!」

 

ペテン師とか月謝泥棒。挙句の果ては金返せ!日没高校なら月謝はどぶに捨てたようなものだ!とののしられた。

 

半年でオール1がオール3になったのなら次の半年ではオール5になるはずだ。そうならないのは塾の教え方が悪いからだから責任をとれというのが母親の言い分であった。

 

この経験は長山の学習塾経営の原点の一つであり、良い勉強をさせて頂いたと感謝している。

 

 

2.長い話を紹介したのはこんなひどい保護者がいるということをお知らせするためではない。


 

今になって振り返れば、この母親の言い分は100%正しいのだと思うようになった。

塾で怒鳴って金返せというのはともかく、親の気持ちは当たり前のことだと思うようになった。成績が上がれば幸せか、有名大学に入れば幸せかどうかは措いといてもこの母親は少なくともそう思っていた。

 

親が子供に幸せになってほしいと願う愛情に、ここまでというようなポイント(顧客満足度)は無いのだ。ここまでなら満足という「終着点」は無いのである。

オール1がオール3になれば次は4に、次は5にと親が望むのは当然の希望なのだ

昔からいうではないか:

       這(は)えば立て。立てば歩めの親心。


 

先のX君の話に戻ると私の最大の失敗は母親の「せめて、どこかの高校に入れるようにしてほしい。」という言葉を額面通りに受け止めて母親の心理の機微を考えなかったことだ。


 

未熟者だった。

高校に入れるまで成績が伸びたのが単純に嬉しかったから、弾んだ声で「日没高校には入れますよ」と伝えたから母親が次の日に怒鳴り込んできたのだ。


 

こういうべきだった。「申し分けございません。いかんせん、スタートで躓いていますから日没高校なら・・・というところです。後は横浜朝日高校を目指して一層の指導を心がけます」・・・と。


 

オール3になった時点で講師を厳しい男性教師に変更すべきだったのかもしれない。


 

顧客満足というのは相場や目やすがあって成り立つものだ。

1000円ならこんなものだ。5000円出したのだからこのくらいだろう。・・・・・これは塾には一切当てはまらない。


 

「学習塾には顧客満足度はない」というのはこういう事なのである。


 

このことから、塾講師は貴重な教訓を引き出さなければならない。


 

親の子供に対する希みに終わりがないという事は、塾の仕事にも終わりはないということである。


 

3.塾の仕事に終わりは無いというのはこういうことだ。


 

その後、大手の難関塾に移った。猛烈な勢いで講師を鼓舞した。指導システムも改善し、指導能力のない講師は全員、やめて頂いた。

中学入試の結果がでると、最難関中学50名受験で45名合格だ。まさに塾始まって以来の「好成績」だ。


 

その時には全体の教務の責任者をしていたのだが、中学受験部の責任者が、塾始まって以来の好成績だと大喜びをして,満面笑顔を浮かべて、担当講師団の「慰労会」の日程を何時(いつ)にしたらよいか相談に来た。面罵した。


 

馬鹿野郎!「反省会」の間違いだろう!落ちた5名の中にもう少し塾が頑張れば合格した生徒は一人もいないと言い切れるのか!…(沈黙)・・


 

落ちた5名の生徒と保護者の前で、50名中45名合格だから喜んで下さい。とお前は言えるのか!合格率90%というのは単なる塾側から見た数字に他ならないんじゃないか!


 

こういって塾のパンフレットを投げつけ、一番大きな活字で書いてある言葉を読めと怒鳴った。


 

一人一人の頑張る気持ちを応援…」と声を震わせながら読んだので、もう一度、この「一人一人」の意味を考えなさいというところで私の叱責は終わった。


 

全講師の前でやったので効果てきめん。次の年にはさらに進学実績は向上した。私のこの「叱責」がなかったら大幅に、進学実績は大幅に落ち込んでいたかもしれない。


 

これを読んでわからない塾講師は独立して塾を作ろうなどとゆめゆめ、思わないことである。


 

このことはX君の「事件」で学んだことである。だから「感謝している」というには心から言えることである。

 

 

4. さて、X君は何故、短期間に成績が伸びたのであろうか?という質問は、いいかえれば、ある程度の能力がありながら、なぜ全くの成績不振におちいっていたのであろうか?という質問に還元できる。


 

答えは、それまで一切、勉強していないからである。一切、勉強をしていない生徒が、生まれて初めて勉強を自分から行い始めたのだから、成績がいくらでも伸びるのは理の当然であった。


 

これから、恐ろしいことを申し上げます。


 

それまで、一切、勉強をしていなかった原因は、どこにあるかというと

 

親(ここでは母親)に対する無意識の反抗!

からなのである。親に対する反抗というのは非行行為や暴力に出るかといえば、必ずしもそうでなく、本人も親も気づいていないが、

 

勉強をしない。

という形でも現れるのである。

 

 

*東京大学理科3類合格確実者だろうが、駿台模試全国トップだろうが灘高校のトップでも、平気で厳しく叱れるのはこういった経験があるからである。

 

*塾は講師ではない。教務(講師を監督したり、生徒に合わせて担当講師を選んだり、場合によっては解雇する人事権のある立場の人間)だと常々言っているのはこういうことだ。この女性講師を生意気な中学生の集団クラス指導をさせたら学級崩壊を起こしていただろう