さすがにドイツまでオペラを聴きに来る方は只者ではないようである。
バレンボイムのリングだったと思うが、開演前に席で立っていると、隣で立っている日本人の紳士が挨拶された。
立っているとというのは通路が狭いので、全員が着席するまで、立っていないといけないのである。
渡辺と申します。今日のラインの黄金で、ご一緒ということは、後の3部作もご一緒でしょうからよろしくお願いします。
ひどく恐縮しながらも、どこかでお見かけしたお方だと記憶を探っていた。
幕間は一時間もあるし、劇場の周りには、なんにもないので必然的に日本人同士で話をすることに相成った。
渡辺さんはどうもある団体の切符の斡旋で日本人の奥様方の集まりとご同行されているようだ。
奥様方の中では、お珍しい名前のため、カクさんと呼ばれていたので記憶が一致した。何冊か、その時点で著書を読んでおったのでお顔に見覚えがあったのである。
分子生物学の日本における最高権威である渡辺格教授であった。もちろん、日本におけるというのは枕詞であって、世界的な権威者というべきである。
奥様方はご存じない様子で、カクさんってドイツ語がしゃべれるのよねぇ。便利だわぁとということで、カクさん、パンを買ってきてねぇとかいって日本からの道中パシリに使っていたとの由。渡辺教授が奥様方のパシリをされている話を聞くとおかしいやら、恐れ多いやらで困惑した。
良い勉強をさせていただいた。勉強の目的は謙虚になるためだという名言がある。小一時間ほど、とりとめもない世間話をまみえたのだが、たいそう丁寧な口吻に加え柔和に笑顔を受べて、そのうち慶応大学医学教授と知れたのであろうが、奥様方の、子供でも分かるような質問にもご丁寧にお答えになられておられた。
あれほどの学者だから,「学者以外の人には」物腰が柔らかいのであろう。
渡辺教授は多くの「弟子」を育てたことでも知られる。ノーベル賞を受賞された利根川進先生もその一人だそうだ。
ところが、分子生物学者の色々な本を読んでみると、渡辺先生は、とにかく「怖い先生」だったそうである。
あいまいな研究計画でもだそうものなら、直ちに厳しい質問が飛んでくるので、みんなが震え上がったそうである。
あれだけの、丁寧な柔和な方だから、学問に対しては厳しかったのであろう。
(2011.2.28補足)後日譚である。あのとき渡辺先生と名刺交換された方には、後日、渡辺先生のご丁寧な直筆のお手紙と近著のご恵送があったそうである。