岡山白陵高校の入試(英語)でreincarnationという英単語が長文読解で出たことがある。

設問は全体の文章からreincarnationとは何か推測させるものであった。


気になるのは輪廻と答えた生徒の採点をどうしたかである。


reincarnationと輪廻はまったく別の概念だ。英語のreincarnationでは人間は人間にしか生まれ変わらない。前提として霊魂不滅説があるから人間の霊魂が豚や牛の肉体に入ることはありえない。またこの子は死んだ祖母の生まれ変わりだといった場合、それは歓迎されるべき恩寵だ。


一方で日本語の輪廻はサンスクリット(語)のサムサーラの訳語だ。古代インドの思想によれば全ての生命は永遠に色々な生命に生まれ変わる。人間が豚や虫に生まれ変わることもある。しかも、それの原動力は業(カルマ)である。カースト制の基本的屋台骨であり、恩寵ではなく忌み嫌うべきものである。ブッタという人間は輪廻から外れて永遠に無になることを解脱と言いました。


もちろん、高校入試ではここまでは要求されないであろうが、大学受験まで考えたら、言葉の表す概念で完全に一致するのは数学や物理学の術語くらいのものであることは念頭において欲しい。


昔、外国で「日本人はお茶(tea)に砂糖もミルクも入れないで飲むって本当か?」と聞かれたことがある。この程度なら笑い話で済むが、宗教や政治の言葉になるとよほど注意しないと誤解が生じる。


最大の失敗の例としては英語のゴッドを日本語で神と訳した事だと思います。


下の写真は中東の「山」であるが、日本語の山という言葉の概念からは程遠い。私にはどう見ても「巨大な岩の塊」にしか見えない。中東は石の文化です。イエスの義父であるジョセフは大工ではありません。石工であります。(それが歴史的事実だとしても)生まれた時の飼い葉桶というのも石でできているはずです。



UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

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イスラエル  マサダで撮影。いわゆるマサダ要塞であります。マサダが要塞という意味なので要塞という言葉は省きます。


それならサハラ砂漠はどうなのだというツッコミはご遠慮ください。