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NOTE

日記にはしません。

「知れば知る程自分の無知が分かる」

この言葉がぴったりだなぁと日々痛感しております。そんな中、少しでも世の中の知らないことを減らしていきたい、そう思って聖書の勉強を始めました。クリスチャンになった訳ではありません。

きっかけはこっちで出会った日本人の先輩と、自分の宗教に対する興味関心から。そもそも、APUに居る時から宗教の勉強はしっかりやりたいと考えていました。授業で言えば「アジア太平洋の宗教」を履修して少しはアジアにおけるイスラム教・キリスト教を・その他宗教について勉強出来たのかなとも思います。それでも、やはり実際に信仰している人から話を聞いたり一緒になって体験するに越したことはない。だったらアメリカでしっかり勉強してやろうと。そこでまずはキリスト教徒に限らず誰でもウェルカムな団体に行って、一から学ぼうと思い、月曜日に初めて行ってきました。

※十分留意しますが、ふさわしくない言葉・表現があればご指摘お願いします。※

約1時間にわたって聖書について教えてくれたのはクリスチャンの韓国人の先輩。こちらでは大学院生として日々勉強している方。
施設案内をしてもらい、聖書について、もしくはその内容について真剣に議論している学生の姿を見て今まで踏み入れたことのない場所に来たのだなと実感。

教えてもらったのは基礎中の基礎。聖書の使い方から始まり、聖書の冒頭を専用の勉強シートを使って読み進めていきます。その質問も基礎であれキリスト教の根本部分についてだけあって一問ずつ頭を悩ませながら答えていきました。たったA42枚分なのに1時間。それだけキリスト教徒ではない私にとって回答に困難な問題だった。

この1時間で印象的だった瞬間は3つ。

①今日の感謝、明日の幸せを。
1時間の勉強が始まる時、そして終わる時。それぞれに彼女は私と彼女自身のために1分程度のお祈りをします。始まる時はこれからの時間が良いものになりますように、終わる時にはthanks giving listという今日一日を振り返ってよかったこと、praying list、これはこれから神に守って欲しいこと(例えば明日の試験が上手くいきますように、等)をお互いに出し合い、神に向かって唱えます。クリスチャンでない私に代わって、またクリスチャンではない私の願いまでもを自分の願いに乗せて祈ってくれる。夕日に照らされてただひたすらに真剣に祈る彼女の姿は素晴らしいものであったし、神聖なもののようにも私の目には映りました。それから純粋に「ありがとう」という感謝の気持ちも。

②聖書
私個人のために、彼女は聖書を用意してくれました。手軽に持ち運べるサイズで、それでも内容はきちんと聖書です。1ページ目にはこの聖書が誰から誰に渡されたものであるのか、またその日がいつであるのかが記されています。そこに自分の名前を書いた瞬間、クリスチャンになった訳ではないけれど、学ぶ立場として一つ責任を感じた瞬間でした。

③答え
各質問に答える時。自分で考えるものから、聖書を引用して答えるものまで様々。その中で少し疑問に思ったのが「神がどういう存在か」という問い。私も家族や友達のこと、もちろん自分のことで何かどうにかしてほしい、という思いがある時は「神様、どうにか...」というフレーズを心の中で唱えることも少なくありません。(自分でどうにか出来る、ということは置いておいて。)きっとこれは宗教というものが元々人々を苦しみのある生活から少しでも逃れるための一つの手段であったとかそういうものに関連するのかもしれませんが。いずれにせよ、私は「God」と聞いて悪いものは想像出来なかった。それでも「神が自分にとってどのような存在なのか」改めて問いかけると言葉にはし難い躓きがある。正解もない、また何より聖書が「Me=私」と「God=神」との関係なので人それぞれでもあると思うのですが。

聖書の冒頭は、神がいかにして7日間(6日間+休暇1日)でこの世(現在環境と呼ばれているもの)を、そして人を創りあげたか、から始まります。

私はこの世の始まりが描かれるもののうち、人々の解釈の一つだと考えているし、神が存在しこのようにこの世を創ったとするなら、それは素晴らしいことだと思います。

まぁこれには神が存在するのか、という質問にも答えなければいけませんが。

最後に彼女は自分がキリスト教徒としてきちんと聖書の勉強を始めた理由を、「生まれながらにクリスチャンではあったが、神の存在やキリスト教の存在をきちんと自分の中で理解しておきたかったから」と話してくれました。以前、友人ともこの話になりましたが、そもそも何かの宗教を信仰している人は生まれながら、という人が多いんじゃないかと。ならばそういう人たちはなぜ自分が信じているのか、なぜその宗教でなくてはいけないのか、根本を理解しているのか疑問に思うことがあります。
また現在、ISIS(イスラム国)で話題にもなっていますが、宗教と政治は切っても切れない腐れ縁のようなものだな、と高校で世界史を学んでいてつくづく感じていました。そこからAPUという多文化が行き交う大学へ入学し、今こうして人種のサラダボウルと呼ばれる多民族国家(日本も単一民族国家ではありませんが)、アメリカに居る。そんな自分のこれまでの環境を考えると益々宗教を身近に感じ学ぶべき運命にあるような気もします。強制でも何でもなく、私の意志で。

宗教を知り、人を知る。

shoko.