私の大学における一つの目標を振り返ってみる。
「私は、○○のNo.1です。」
○○に必ず4年で言葉を埋めてみせる。
それは、4年間の学問的・生活レベルでの勉強を踏まえて創り出すものであるし、そのためにこれまでも今もこれからもあらゆる局面で「選択」していく。
でも。
選択する時、それが果たして自分にとって正解なのか。もちろんそれが正解かなんてその時点では分からないけれど、最適なのかな、間違っていないかな、毎回悩む。
選択し終わって、一通りその道を歩いて来たとき、ふと振り返って、「やっぱりこっちを選択してもこういうことが出来た」とか「これで良かったのか」とか、言ってもしょうがない、振り返ってもしょうがないことばっかり考えてしまうことは絶対にある。
分かってます。誰に言われなくても、どんな名言を見なくても。
グダグダ言う前に、目の前のことをやれ。やらなかったことを後悔しないように。
それでも、顔を上げようと踏ん張る自分を潰していくことでしか今の自分の状況を理解出来ない。
「世界に一つだけの花」の歌詞で、
No.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one
なんて歌詞がありますが、各個人の生まれながらの個性だけではなく、学問的に、少し具体的に言えば専門性を持って明確なビジョンを持ったOnly oneになることがどれだけ大変か。
この歌詞が言わんとしていることはそれぞれがダイヤの原石な訳で、
それを磨いて何億、何十億と世界で通用する高い値打ちを付けてもらえるような綺麗なダイヤにするのか、
河原で見る小石と区別がつかない原石のままでほったらかしにするのかはその人次第、なんてことなのかなと勝手に解釈してますが。
世界で高い値打ちを付けてもらえるように、それは世界中の誰からも認められる有名な人になりたいという解釈だけではなく、巷でよく言われる「グローバル人材」として世界を舞台に活躍、なんて意味にも捉えられる。どのフィールドでダイヤになるかはもちろん人それぞれですけど。
今原石からどれだけダイヤに近付いているかなんて、自分で磨いているのに見えないのが本物のダイヤと違うところ。
それにどれだけ耐えられるのか。どうやって耐えてひたすら磨き続けるか。
凄く個人的な投稿でごめんなさい。
焦りと不安と、ようやく色濃くなってきた目標を目の前にして、今過ごす環境をふと考えて、こんなことを思いました。
shoko.