「うっせーなー、他でその話してくんない?興味ないから。」
同じクラスの女子に、私が放った言葉です。
彼女はいつも、誰も聞いていないのに、会ったこともない知らない男子の話を自慢げに話す子でした。
女子高では共学とは違い、リアルな恋愛話をするシチュエーションは少ない。いや、もしかしたら私や私の友人たちがそうだったのかもしれません。彼女が話す「〇〇高校の誰々くん…」という話は、私たちからすれば「知らんわー」という感想しかありません。席が近かったため、私はそれを毎日聞かされる羽目になりました。
私だけでなく、私の友人も不快に思っていました。特に、友人が雰囲気的に少しセンシティブな話をしているのを察していても、隣で大声でその話を続けられた時には、もう我慢の限界でした。
怒りという名の「境界線」
「もうやめてくんない?興味ないから、私らのいないところでそーゆー話はしてくんない?」「ウザいから!」
そう言っても、彼女は懲りませんでした。
もしかしたら、彼女は「女子高ではなかなか異性と付き合う機会がない」という環境の中で、自分の恋愛話をすることで、周りから「羨望」や「嫉妬」の視線を浴びることに快感を覚えていたのかもしれません。
でも、彼女の話を聞いていても「羨望」しない人間もいる。私にとって、同じクラスで対等な人間同士として対話ができないと判断した結果、最初に出た言葉が「うっせーなー」でした。
我慢の限界で言った「ウザい」という言葉は、ハラスメントと捉えられてしまうのかもしれません。でも私の中では、「もうあなたとは付き合いたくない」という、はっきりとした喧嘩であり、彼女との間に境界線を引く言葉でした。
それでも懲りない彼女に、私はその後も「ウザい」と言い続けたのですが、それがとんでもない事態を引き起こしていたのです。
「いじめのヒエラルキー」と化した、私の喧嘩
「あいつ、また〇高の男の話してたから、ウザいって言ってやりました。」 「Teikaさん、あいつ無視することにしました。」
…そう言って、彼女の話を羨ましそうに聞いていた子たちが、私に意味不明な報告をしてきたのです。
私の意図とは全く違いました。知らないうちに、私が「いじめのヒエラルキー」を作ってしまっていたのです。あまりにも頭が悪すぎる。羨望という名の嫉妬は、こういう作用も引き起こすのかと、愕然としました。
「より強い方に人は憧れる」のかもしれませんが、あまりに「自分」がなさすぎると思いませんか?
私は報告してきた子たちに、「自分がそうしたいからそうしたことを、わざわざ私に報告してくるの?」と言い放ちました。
「自分や自分の友人が不快だったからやめてくれと言い続けた。でも聞いてくれないから強い言葉になった。私はあなたたちに無視してくれなんて頼んでない。それに、あなたたちと彼女は友達じゃないの?あなたたちのことは私には関係ないから。」
そう一蹴すると、その子たちはそれ以降、私に話しかける時は呼び捨てではなく「さん」付けで、敬語を使うようになりました。
この出来事は、他の人から見れば私が彼女をいじめたように映るかもしれません。でも、私の中ではただの喧嘩でした。
皆さんは、どう思われますか?