前述のブログの友人の話の続きになりますが、
父親が母親にDVをしたことを見て成長し、その友人は結婚に恐怖心を抱き、
今尚独身でいます。ただ異常な性癖を彼女と深くかかわった人は誰もが知っています。

その友人からちょこちょこと連絡があるようになったのは、数年前からでした。
大学時代の友人といっても、学科が違い、友人は私の事を知っていても、私は名前と顔が一致しない程、
認知していませんでした。
私が10数年ぶり連絡をしたある友人に、素直に助けを求め、その友人が集合をかけてくれました。
その場に集まってくれたことを私は感謝していました。
私に彼女が直接連絡してくるようになったのはそれからでした。

私が今年に入り休職となってからは、それまで以上に、昼夜問わず気が狂ったように
私に電話、メールを1日に何度もしてきました。

話題はいつも児童施設の子供達のことでした。

「あの子らは自分を何様と思っているの?大体、クズに育てられ、見捨てられたからここへ送られてきたんでしょ!なのに、偉そうに…。どうせ中学卒業したら、そこら辺でのたれ○ぬわ!ざまあみろってんだ!」
この言葉をどう思いますか?
虐待された子供達が最終的に送り込まれている施設の先生という立場の人間の言葉です。

解任した弁護士はどうでしょうか?
嬰児、この世に生をうけなかった子供なんか、法律の救済はないからというのであれば、
ただ法ではどうにもならないのが現状であると私にいうべきだったのではないでしょうか?
弁護士という職業という以前に人としてあまりに命を軽視した発言だと思います。

友人も弁護士も父親が母親に暴力を振るう姿を見て育ちました。
どちらも立派な職業に就いていると思いますが、
共通して言えることは、直接の虐待はなかったことです。

憎み続けている父親に学校を出してもらって今があるということを分っていない、
過剰な被害妄想が存在しています。
自分が一番酷いと思っています。
実際に酷い目に遭っていたのは母親です。
どちらも離婚しなかった母親を憎みはしなくとも、
脳のない馬鹿女と言い蔑視しています。
彼女らの母親はこの言葉をどう受け止めるでしょうか?
これだけで決めつけている訳ではありませんが、長くなるので、私の主観で言わせてもらえば、
こういう人によって虐待は消えることなく、繰り返されていくのです。

またその友人から聞いた話を以前書いたことがありますが、その施設でベテランの50代女性指導員が、
まだ中学生になったか分らないぐらいの男子児童に自分の性の相手をさせていたのです。
学校の担任が気付き、その施設へ問い合わせましたが、
その施設はその事実を隠蔽しました。
私はその事実を聞き、通報しようと思いましたが、
いつの話で現場を見ていない、誰の事かさえ限定出来ないものは受理してもらえないと分かりました。
学校は通報義務があります。それなのに、施設への問い合わせで終わっています。
友人も含め、その施設自体、自分の身を守ったとしか私には思えません。
その為、同様の虐待が他の施設の子へと移り、最終的救済されると一般の方が認識している場所で
日常的に続いているのを知りつつ、現場にいる多くの大人が放置しているのです。
この現実を聞いて、どう思いますか?
最終的施設が劣悪な環境であるならば、
児童施設ということから助成金、募金など受け取る権利はないと叫ばれそうですが、
施設が廃業、なくなってしまえば一番困るのは子供達なので、安易に論じる訳にはいかないのが現実なのかも知れません。

先日、16歳の少女が母親に強要され、小学校の時より売春、覚せい剤というニュースがありました。
彼女が逮捕され、その事実が明るみになる以前に、彼女と関わった多くの大人、行政があったでしょう。
そして彼女は送致され、よかったという声が多く聞かれました。
確かに劣悪な環境下から助けられたという感があります。
そのニュースを長男は私と一緒に見ていました。
私は長男の一言に一般の人が気付かない闇が潜んでいることを思い知らされたのです。