バラナシの旅を終えると、今回絶対行くぞ
と目標にしていた場所は終わります。
バラナシで出来なかったことは、サールナートに行くことと、ガンジス河で沐浴することです。
サールナートも沐浴も、体調がおもわしくなかったので、やめました。
バラナシを発った後、他にもいくつか都市を周り、とても有意義な時間を過ごしましたが、このバラナシは特別です。
このバラナシでの滞在は、不思議で幸せな時間でした。
ここには生と死が混在しています。
暮らしている人々は、逞しくしたたかです。
また、生きながらに万有を司る法則に触れようとする人々が集まる場所でもあります。
そして、バラナシはインド中から遺体が運び込まれ、焼かれます。またここで死を待ち、輪廻から解き放たれると信じる人々がいます。
バラナシにはずっと昔から宗教家が訪れてきたようです。
ゴータマ・シッダールタが悟りを開き、ブッダとなって初めて「悟りとは何たるか」を説明をしたのがバラナシ郊外のサールナートというところです。
サールナートにはたくさんの修行者が生活していました。以前ブッダと一緒に苦行し、ブッダを見限った5人もここにいまいた。ブッダは彼らに説法するため、サールナートに入りました。
こんなにもバラナシがたくさんの人を惹きつけるのは何故なのでしょう。全長2500kmにも及ぶ長い河です。
そして、宗教の重要な聖地もこの河付近に点在します。
それでもいつも人が集まり、聖なる河を観光しに来る人、人生を考える人、マリファナをやりに来る人…などなど雑多な人々が集まる場所がバラナシなのです。
私は、子供の頃から死に対する興味が強く、とても恐れていました。生まれてまだ数年の幼い女の子が、死を恐れたのです。周りの大人たちには、そんな私が奇妙に映ったようです。日本の社会では、宗教の意味を知ろうとしたり、人の生死を見つめることはあまりしません。日本人にとっての宗教は、お金のかかる義務的な儀式となっている場合が殆どでしょう。もしくは危険な思想と捉えられるかもしれません。そういう文化から見ると「死」を見つめる子供は、奇妙で縁起の悪い子供と映ってもしかたの無いことです。
しかし、私は、直感的に知っていました。「死」は、いえ「死」こそ、私の人生の意味を知る最大で最終の手がかりであると。
「信じている」のではなく、「知っている」のです。
ですから私も、自然にバラナシに引き寄せられていったのでしょう。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
おわり





